で有名な小栗孝一氏って、なんで、注目を集めていたその当時、「冠名」+「親の名前」という馬名ばかりつけたのでしょうか?

ひどいのになるとオグリトウショウとかオグリシャダイとか「冠名」+「冠名」という馬名をつけてましたが。

あまりにも没個性で、全く愛情が感じられないのですが、本人はどういうつもりでつけていたのでしょうか?

何か馬名をつけるにあたっての独自の哲学があって「あえて」そういうつけていたのでしょうか?

回答

漢晋春秋:

ひどいとか没個性とか言われたって、そもそもの馬名なんて「父母の馬名から一部もらって合わせて付ける」のが基本なんですが。小栗氏の命名はごくオーソドックスなだけであり、没個性とまで言うのは言い過ぎな気がしますよ?
ていうかむしろ、奇想天外かつ深く考えられた馬名で話題になる小田切氏みたいなのの方が例外です。あれをスタンダードだと思ってはいけません。

    ID非公開

    ということは当時小栗氏は、
    馬名は、「競走馬の馬名なんて」という程度の思いでつけるものであり、「父母の馬名から一部もらって合わせて付ける」程度のものであり、馬というより馬主のアイデンティティである冠名を付け合わせてつけてしまう程度のものだ。
    ・・・という哲学をもってあえてつけていたということでしょうか?