第4番~第3楽章。

先日、伯父が73歳で亡くなり、市営斎場で行われた葬儀に出席しました。

仏教のお葬式でしたが、地元のお寺のお坊さんがお経を唱えているとき以外に、マーラーの交響曲第4番の第3楽章が流されていました。

伯父とは、それほど仲が深かったわけではありません。

しかし、マーラーのアダージョを聴いているうちに、生前の伯父のことが思い浮かんできました。

伯父は、()場で「」をやる傍ら、非にはなどの露天商をやっている、大酒飲みの男でしたが、伯父が屋をしている場に父に連れて行かれたことが何度もあり、幼い僕に「大人になっても、こんなものに凝っては駄目だぞ。こういうのは自分で稼いだお金で、無理なく楽しむものなんだ」と言い聞かされたこと、冬に素手で登校する僕に手袋を買ってくれたことなどが、走馬灯のように頭の中を駆け巡り、思わず涙を流してしまいました。

葬儀の前には、まさか涙を流すことになるとは、思ってもいませんでした。

これは、マーラーの威力でしょうか?

回答

Michael:

「音楽の本質は何か」という問題を追究したで、

『めぐり逢う朝』というフランスの映画があります。

その物語の最後で、「答え」を示しています。
ぜひご覧いただくといいと思います。

つまり、マーラーに限らず、音楽の本質にかかわるものだと考えます。
(映画では、最後の一番重要なシーンで、バッハの無伴奏組曲に似せた音楽も流れます)

たとえば、パッヘルベルの「カノン」
結婚式でも採用されるし、葬式でも採用されます。
どうして、「カノン」は、真反対の意味の異なる式典に採用されるのだろう。

それは、結婚式も葬式も
「人生の重要な場面に立って、今までの生きてきた日々を想い、ひとつの区切りをつけ、未来に向けて送りだす」
という点で共通していて、
「カノン」という曲がその部分をよく表現できているからだと思います。
マーラーも同様と思います。

「人生の重要な場面に立って、今までの生きてきた日々を想い、ひとつの区切りをつけ、未来に向けて送りだす」

私は、これが音楽の、特に、名曲の本質だと思います。

『めぐり逢う朝』では、もっと明確な言葉で示しています。
あなたの欲しい答えがあると思います。
ぜひご覧ください。
https://video.unext.jp/title/SID0057889

※参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=Pppexz-KKig

この↓動画では、「はなむけ」の「カノン」が、同時に「死者への弔い」でもあることを示しています。
https://www.youtube.com/watch?v=KEY4dcISx8s


David Wunterburg:

マーラーの威力です。
よくぞ4番の3楽章を選んでくれました。この楽章は2つの主題の変奏曲で、主題が一つでないのがみそ。なのでちょっととっ散らかっているけど、それがまた人生いろいろにつながる。涙も当然。どなたの選曲でしょうかね?ご本人?葬儀屋さん?凄いセンス。

    Shostakovich

    回答ありがとうございます。

    >>どなたの選曲でしょうかね?

    ・・市営斎場の担当者の方です。


kar********:

音楽は、偉大ですね。

自分の葬式の時にかけてもらいたい曲って、ありますね。

失礼ながら、大酒飲みで、予想屋で露天商という人生と、クラシックのマーラーというのは、ちょっと意外でした。

マーラーは、今でこそ人気の作曲家ですが、生前は、作曲が酷評されていたようです。ベートーヴェンの曲を変に編曲したようなものだと。

指揮者としては認められていたので、作曲する暇があるなら、指揮をして欲しいと言われていたようです。

時代が追いついていないということは、芸術において、よくあることですね。


mat********:

お悔やみ申し上げます。マーラーは、交響曲 第5番の「アダージェット」の方が有名で、昨年11月28日に亡くなられた吉右衛門さんの家族葬でも流れたと伺っています。静かに故人を送るには名曲だと思いますので、是非、こちらも聴いてみて下さい。合掌