競馬 なぜオグリキャップは社会現象を巻き起こしたのでしょうか?
地方→中央への移籍で連戦連勝、時にはマイルCS→ジャパンカップと今では考えられないローテなど競馬ファンから愛される要素がたくさんあったのは分かるのですが、普段競馬を全く見ない層まで取り込んで盛り上がったのかが分かりません。競走馬のぬいぐるみが発売されたからといって、普段競馬を見ない層が「じゃあぬいぐるみ買おうかな」「じゃあ競馬見ようかな」となるのも想像できません。オグリキャップが競馬を見ない層まで大勢を巻き込んで競馬ブームを引き起こした時の時代背景を詳しく教えてください。
※オグリキャップアンチではないです。駄文申し訳ありません。
回答
rab********:
時代にマッチしましたからねぇ。
あの頃の日本はバブルでした。みんな、お金を持ってたんですよ。『不景気に、なぜかギャンブルは流行る。』とも言われるんですが、あのバブルは狂ってましたから、みんな何でも出来る(手を出せる)そんな状態でした。
そんな頃に現れたのが、地方馬のオグリキャップ。活躍は他の回答者さんが書かれてますからあえて書きませんが、その彼を『メディア』がニューヒーローとして大々的に報道をしたんです。
オグリキャップの報道は凄いものでした。ディープなイクイノックスなどの歴史的名馬ですら太刀打ちの出来ないほどの超加熱っぷり。それは競馬をやったこともない若い兄ちゃん姉ちゃんをも巻き込み、大ブーム(オグリブーム)となったのです。ぬいぐるみなどのグッズは飛ぶように売れ、競馬などやったこともない初心者がオグリキャップ見たさに競馬場へと足を運びました。
いろいろと書きましたが、メディアがブームを作りました。オグリキャップを新しいスターにしたんですね。そして、それにより、乗せられた新しいファンを開拓することになりました。競馬界の売り上げも『兆』単位で増えて言ったんです。
dst********:
地方から出てきて中央のエリートを倒す
そういうところを自分たちの立場として考えていたファンも少なからずいたと思います。
芦毛というのも良かったのかもしれません
当時、ネズミみたいで可愛いなんてコメントしていた女性ファンもいました。
G3レースくらいだと圧勝する強さでしたが、G1レースになると持ち前の勝負根性で接戦になり、勝ったり負けたりする。
周りのライバル馬(タマモクロス、イナリワン、スーパークリーク、バンブーメモリー等)の存在も大きかったと思います
クラシックレースに出ても勝てるのでは?とも言われてましたが、クラシックレースを走る予定がなかった為に登録しておらず出走は叶わず。
後にクラシックレースの追加登録制度が出来るきっかけにもなりました。
3人目の馬主がオグリキャップをかなりの金額で購入した為か、元以上の賞金を稼ぐために組んだ
天皇賞・秋→JC→有馬記念のローテーションの予定が、天皇賞・秋で負けた為に急遽マイルCSに出走することになりハナ差の激闘を勝利し翌週JCへ
当時の芝2400Мのレコードタイム2分2秒2タイの2着に敗れた
有馬記念はさすがに疲れからか5着に終わる
翌年は初戦の安田記念をレコード勝ち
マスコミの過熱報道が増え始めました
オグリキャップの馬房に定点カメラを設置し、24時間密着なんてクソなことをするテレビ局もありました
オグリキャップは、ゆっくり出来ずストレスが溜まったでしょうね
その後は、マスコミの過熱報道やそれまでの酷使や脚部の故障により精細を欠き
宝塚記念2着、天皇賞・秋6着、JC11着と坂道を転がり落ちるように下降していき
オグリは終わった
オグリキャップが負けるのをもう見たくない
等の声が出始め引退が現実味を帯びるよいになり、有馬記念を引退レースに。
ファン投票では、堂々の1位になるも
馬券のオッズ的には4番人気(5・5倍)ただ、ラストランということで、記念に買ったファンがけっこういたと思われるので、実際の評価はもっと低かったと思います
ライバルだった、イナリワン、スーパークリークは引退
メジロ陣営はライアンにG1を獲らせたいからか菊花賞馬メジロマックイーンは不出走
オースミシャダイに騎乗すると思われた武豊騎手がオグリキャップへの騎乗依頼がきて安田記念依頼の騎乗
当日ライバル馬の1頭だったイナリワンの引退式があり、数時間後にオグリキャップが奇跡をおこすとは、誰が予想出来たでしょうか
1152303339:
結論として、大きく広まったのはメディアの功績です。馬がそれに応えた部分はありますが、新聞やテレビが大々的に報道して、その時の主役に踊り出させたからです。
競馬界でも稀有な存在のハルウララも一つのいい例です。高知競馬が起死回生を狙うために宣伝に使った同馬はまず地元高知の新聞で取り上げられ、徐々に人気が出ると大手テレビ新聞が取り上げて、一気にブームになりました。現実には100連敗の馬はちょいちょい出てます。だけど、ハルウララだけが大ブームになりました。それはメディアのおかげといっていいでしょう。
同様にオグリキャップも初めは地方出身の強いらしい馬が来る、から始まって、連戦連勝を伸ばす中で、メディアに取り上げられ、葦毛という毛色も特徴的で徐々に人気が高まり、その中で単に勝つだけでなく、春シーズンは走れなかったクラシックに出てたら、という妄想を膨らませている中で、天皇賞秋、JCとタマモクロスに連敗、有馬記念で逆転勝利。というドラマチックな展開にも魅了された人は多かったでしょう。
そして、その成績を上手に利用して、宣伝しまくったのはメディア(テレビ)です。何度となくテレビで取り上げられるので、競馬ファンじゃないところまで浸透したという事です。
kum********:
幾つかありますが、地方上りがエリートをなぎ倒した、と言うのは他の方もおっしゃっているので、それ以外の要素を挙げます。
・ライバルに恵まれた
どれだけ実力があっても、魅力的なライバルがいないと色褪せてしまうものです。良い例がディープインパクトで、彼には魅力的なライバルがハーツクライぐらいしかおらず、しかも万全の状態で戦えたのはたった一戦。
オグリのようにタマモクロスから始まり、イナリワン、スーパークリーク、バンブーメモリー等、彼等だけでも十分主役を張れるぐらいのライバルがいた、と言うのが非常に大きいです。
特に一番の大きな転機となったのは1988年の天皇賞秋ですね。当時芦毛で強いと言われる競走馬は少なかった。そんななかでその年無敗で連勝を続ける二頭の芦毛の馬が激突する。
これを今の時代に置き換えて考えてみてください。年間無敗の二頭が秋のG1で遂に激突するってだけで、ワクワクするじゃないですか。どっちが強いのか、他に割り込んでくるライバルはいないのか。
オグリと言うと次の年の3強対決がクローズアップされがちですが、前年秋のタマモクロスとの最強対決があったからこそ、人々の興味を引いた、と考えています。
・1989年鞍上の南井とオグリとの相性
オグリと言うと武のイメージが強いですが、実際大人気だった1989年の鞍上は南井騎手でした。彼は武のようなスマートな騎乗ではなく、ファイターと呼ばれるタイプの名手で結構苦労人でしたが、彼のスタイルと地方から来た根性の塊のようなオグリとはイメージが非常に合ったんですよね。
鞍上が武だったらもっとスマートにオグリはG1で勝利を挙げることができたかもしれませんが、鞍上が南井だったからこそ、あの伝説のJCレコード決着とかが見れたのだと自分は思っています。
こう言った幾つかの偶然が重なることで、オグリキャップの人気ってできたと思います。だからこそ人為的にやろうとしてもディープのようにうまく行かなかったりするんですよね。強いだけ、タイムが速いだけじゃダメなんです。
zon********:
何もかもが重なった事が大きい原因かと
思います
地方馬、芦毛、裏街道、バブル絶頂期
武豊デビュー、過酷なローテ、
連戦連勝、
ミナガワマンマ:
オグリキャップはクラシック登録がされていなかったのでその強さが注目はされてもクラシックへの出走が叶いませんでした
しかし裏街道を進みながらも古馬との初対決も制して連戦連勝、『一体どれほど強いのだろう?』とファンの想像を掻き立てる存在だったんですね
また元の馬主がJRAの馬主資格を持たない為に、条件付きの譲渡が行われたりそのJRA馬主の不祥事で他の馬主に再度の譲渡が行われるなど、人の思惑に翻弄された馬でもありました
オグリキャップ自身の強さに加えて、地方からJRAに移籍する経緯の中で、そう言ったドラマを感じる背景があり、また常に一生懸命に走るその姿に『雑草(地方競馬の揶揄)育ちのヒーロー』と当時のサラリーマン世代や比較的若い世代に人気が高かったんです(^_^)
kei********:
まあ、(地)ハイセイコーという偉大な先輩がいて、
その下地があった(ハイセイコーも社会現象レベルに人気があった)ので、
そんなに不思議ではないですね。
オグリの場合は、ちょうどJRAが若い人をターゲットに競馬振興策を
繰り広げた時期だったので、その流れにうまく乗ったことも大きかったと
思います。競走馬ぬいぐるみも、オグリが最初の事例だったんじゃないかな。
トコろん三世:
あくまでも私の個人的考えです。オグリキャップが活躍し始めた頃にJRAでは競馬場にも若い女性にも来れるようにしてました。
だからと言って最初からそんなんで女性が来るわけないのですが男性がデートスポットとして女性を連れて行く感じでいつの間にか女性だけのグループも増えた感じでしょうか。
そんな時代にうまく現れたのがオグリキャップ。
あの芦毛の馬体と地方から中央のエリートを倒す姿が競馬初心者にも競馬経歴が長い方にもうまくハマったのだと思います。
同時期に武豊騎手もデビューしてますしJRAの戦略がうまくいった感じですね
rab********:
時代にマッチしましたからねぇ。
あの頃の日本はバブルでした。みんな、お金を持ってたんですよ。『不景気に、なぜかギャンブルは流行る。』とも言われるんですが、あのバブルは狂ってましたから、みんな何でも出来る(手を出せる)そんな状態でした。
そんな頃に現れたのが、地方馬のオグリキャップ。活躍は他の回答者さんが書かれてますからあえて書きませんが、その彼を『メディア』がニューヒーローとして大々的に報道をしたんです。
オグリキャップの報道は凄いものでした。ディープなイクイノックスなどの歴史的名馬ですら太刀打ちの出来ないほどの超加熱っぷり。それは競馬をやったこともない若い兄ちゃん姉ちゃんをも巻き込み、大ブーム(オグリブーム)となったのです。ぬいぐるみなどのグッズは飛ぶように売れ、競馬などやったこともない初心者がオグリキャップ見たさに競馬場へと足を運びました。
いろいろと書きましたが、メディアがブームを作りました。オグリキャップを新しいスターにしたんですね。そして、それにより、乗せられた新しいファンを開拓することになりました。競馬界の売り上げも『兆』単位で増えて言ったんです。
dst********:
地方から出てきて中央のエリートを倒す
そういうところを自分たちの立場として考えていたファンも少なからずいたと思います。
芦毛というのも良かったのかもしれません
当時、ネズミみたいで可愛いなんてコメントしていた女性ファンもいました。
G3レースくらいだと圧勝する強さでしたが、G1レースになると持ち前の勝負根性で接戦になり、勝ったり負けたりする。
周りのライバル馬(タマモクロス、イナリワン、スーパークリーク、バンブーメモリー等)の存在も大きかったと思います
クラシックレースに出ても勝てるのでは?とも言われてましたが、クラシックレースを走る予定がなかった為に登録しておらず出走は叶わず。
後にクラシックレースの追加登録制度が出来るきっかけにもなりました。
3人目の馬主がオグリキャップをかなりの金額で購入した為か、元以上の賞金を稼ぐために組んだ
天皇賞・秋→JC→有馬記念のローテーションの予定が、天皇賞・秋で負けた為に急遽マイルCSに出走することになりハナ差の激闘を勝利し翌週JCへ
当時の芝2400Мのレコードタイム2分2秒2タイの2着に敗れた
有馬記念はさすがに疲れからか5着に終わる
翌年は初戦の安田記念をレコード勝ち
マスコミの過熱報道が増え始めました
オグリキャップの馬房に定点カメラを設置し、24時間密着なんてクソなことをするテレビ局もありました
オグリキャップは、ゆっくり出来ずストレスが溜まったでしょうね
その後は、マスコミの過熱報道やそれまでの酷使や脚部の故障により精細を欠き
宝塚記念2着、天皇賞・秋6着、JC11着と坂道を転がり落ちるように下降していき
オグリは終わった
オグリキャップが負けるのをもう見たくない
等の声が出始め引退が現実味を帯びるよいになり、有馬記念を引退レースに。
ファン投票では、堂々の1位になるも
馬券のオッズ的には4番人気(5・5倍)ただ、ラストランということで、記念に買ったファンがけっこういたと思われるので、実際の評価はもっと低かったと思います
ライバルだった、イナリワン、スーパークリークは引退
メジロ陣営はライアンにG1を獲らせたいからか菊花賞馬メジロマックイーンは不出走
オースミシャダイに騎乗すると思われた武豊騎手がオグリキャップへの騎乗依頼がきて安田記念依頼の騎乗
当日ライバル馬の1頭だったイナリワンの引退式があり、数時間後にオグリキャップが奇跡をおこすとは、誰が予想出来たでしょうか
1152303339:
結論として、大きく広まったのはメディアの功績です。馬がそれに応えた部分はありますが、新聞やテレビが大々的に報道して、その時の主役に踊り出させたからです。
競馬界でも稀有な存在のハルウララも一つのいい例です。高知競馬が起死回生を狙うために宣伝に使った同馬はまず地元高知の新聞で取り上げられ、徐々に人気が出ると大手テレビ新聞が取り上げて、一気にブームになりました。現実には100連敗の馬はちょいちょい出てます。だけど、ハルウララだけが大ブームになりました。それはメディアのおかげといっていいでしょう。
同様にオグリキャップも初めは地方出身の強いらしい馬が来る、から始まって、連戦連勝を伸ばす中で、メディアに取り上げられ、葦毛という毛色も特徴的で徐々に人気が高まり、その中で単に勝つだけでなく、春シーズンは走れなかったクラシックに出てたら、という妄想を膨らませている中で、天皇賞秋、JCとタマモクロスに連敗、有馬記念で逆転勝利。というドラマチックな展開にも魅了された人は多かったでしょう。
そして、その成績を上手に利用して、宣伝しまくったのはメディア(テレビ)です。何度となくテレビで取り上げられるので、競馬ファンじゃないところまで浸透したという事です。
kum********:
幾つかありますが、地方上りがエリートをなぎ倒した、と言うのは他の方もおっしゃっているので、それ以外の要素を挙げます。
・ライバルに恵まれた
どれだけ実力があっても、魅力的なライバルがいないと色褪せてしまうものです。良い例がディープインパクトで、彼には魅力的なライバルがハーツクライぐらいしかおらず、しかも万全の状態で戦えたのはたった一戦。
オグリのようにタマモクロスから始まり、イナリワン、スーパークリーク、バンブーメモリー等、彼等だけでも十分主役を張れるぐらいのライバルがいた、と言うのが非常に大きいです。
特に一番の大きな転機となったのは1988年の天皇賞秋ですね。当時芦毛で強いと言われる競走馬は少なかった。そんななかでその年無敗で連勝を続ける二頭の芦毛の馬が激突する。
これを今の時代に置き換えて考えてみてください。年間無敗の二頭が秋のG1で遂に激突するってだけで、ワクワクするじゃないですか。どっちが強いのか、他に割り込んでくるライバルはいないのか。
オグリと言うと次の年の3強対決がクローズアップされがちですが、前年秋のタマモクロスとの最強対決があったからこそ、人々の興味を引いた、と考えています。
・1989年鞍上の南井とオグリとの相性
オグリと言うと武のイメージが強いですが、実際大人気だった1989年の鞍上は南井騎手でした。彼は武のようなスマートな騎乗ではなく、ファイターと呼ばれるタイプの名手で結構苦労人でしたが、彼のスタイルと地方から来た根性の塊のようなオグリとはイメージが非常に合ったんですよね。
鞍上が武だったらもっとスマートにオグリはG1で勝利を挙げることができたかもしれませんが、鞍上が南井だったからこそ、あの伝説のJCレコード決着とかが見れたのだと自分は思っています。
こう言った幾つかの偶然が重なることで、オグリキャップの人気ってできたと思います。だからこそ人為的にやろうとしてもディープのようにうまく行かなかったりするんですよね。強いだけ、タイムが速いだけじゃダメなんです。
zon********:
何もかもが重なった事が大きい原因かと
思います
地方馬、芦毛、裏街道、バブル絶頂期
武豊デビュー、過酷なローテ、
連戦連勝、