競馬は全く知らんのだが、
何ゆえ武豊ばっかりが
G1とやらで優勝出来るのでござるか?
武豊が神がかり的な手綱捌きするから?
有力馬の馬主が騎乗してくれと頼むから?
JRAが優勝しそうな馬を武豊に
優先的に振り分けているから?
回答
gis********:
武豊ばっかり?今は毎年1回ずつくらいしか勝ってませんけど
武さんも流石に50歳超えてるので当たり前ですが体力=腕力的には衰えてます。なので近年でG1を勝った時は大外一気(ドウデュース)か正確な逃げ(ジャックドール・インティ)が決まった時だけです。
キタサンブラックは歴代でも最強クラスなので誰が乗っててもそんなに変わらないし(実際に北村宏司でもG1勝ってる)、ワールドプレミアは福永でも天皇賞春を勝ってるようにステイヤーとして強かっただけだし。
mas********:
簡単に言えばJRAが作り上げた大スターですから
岡部幸雄元騎手の彷彿ですよ
無敗のシンボリルドルフから無敗のディープインパクトにバトンタッチしてね
岡部さんの軌跡を、豊さんが辿ってる感じですよ
岡部さんの場合は苦労した時代ですので、デビュー当初は決して強い馬に恵まれず、本格化したのは35歳を過ぎてシンボリルドルフと出会ってから、トップジョッキーとしての道が開きました
そして引退まで素晴らしい記録を打ち立てました
ですがもし、岡部さんがデビュー当初からずっと強い馬を当てがられ、引退までトップジョッキーだとしたら?
そう仮定した場合のリアル版が武豊ですよ
競馬はドラマです
レースは人が作り上げた物語です
騎手の成績も人が作り上げた物語です
たしかに武豊はデビュー当初から、馬のあたりも柔らかく、技術も素晴らしい名手でした
競馬学校時代からも、抜群な騎乗技術をもっていたようです
その武豊に目をつけて、ドラマの主役に抜擢したのがJRAです
そんな素晴らしい技術をもった優秀な武豊騎手に、強い馬をばかりを乗せたらどうなるだろう?と現実化させた結果が、前人未到の大記録ですよ
デビュー当初から素晴しい活躍で、平場、重賞、そしてG1の常連でした
年間200勝以上など、信じられない記録も彼が打ち立てました
20年以上も長く武豊の時代が続き、2010年に社台Fの社長が武豊に激怒し、豊の一気に勝ち星が減りましたね
あれもドラマです
競馬界には芸能界と同じようにスターが必要です
馬も騎手も芸能人のようなものです
いつまでも武豊に勝たせてたら、次のスターが育たないので、武豊には一線を降りてもらいました
もちろん武豊も承知ですよ
したがって社台Fの社長と武豊の関係に亀裂など入ってませんよ
すべて筋書き通りのドラマですよ
武豊が社台に干されたと本気で思ってる人は、根が素直な人だと思いますよ
勝ち星は減っても、今後は競馬界の現役レジェンドとして大きく君臨し、大記録を打ち立てて引退するというストーリーを約束されて、現在に至ると思いますよ
G1全勝もすると思いますよ
彼の引退までの有終の美のストーリーは、すでに出来上がってると思います
今後、あと何勝して、いくつG1レースを勝って辞めるのか
もうストーリーは完全に出来上がってますよ
誰も超えられない記録を残して引退して行く筋書きはできてますよ
武豊はJRAが作り上げた特別な存在ですよ
torasuto:
昨日は上手く乗られました。
ただ若手が人気で逃げたら早めに競り掛けて潰されます。
豊様に競り掛けて潰すのはいないと思います。
失礼しました。
1151300496:
確かに武豊も全盛期は無敵の強さでしたが近年は年齢もあら勝率は落ちていますよ
もちろん勝利の要因は馬主からの依頼もあるし彼の高い技術もあります
それと貴方が目にするのはニュースや報道ですね
彼はネームバリューが高いので彼にはニュースとしての価値があるから貴方の目にも入るのです
アイネアス:
函館大経直弟子の武彦七からの連麺続く才能です。
武彦七→武芳彦→武邦彦→武豊
武彦七
日本近代馬術の祖・函館大経に師事してフランス馬術を学び、自らも「乗馬をするのに手綱は不要、木綿糸一本あれば鞍下に日本紙を入れておいても皺にならぬ」と賞される名手となった。
武芳彦
園田牧場を継いだ。北海道馬主協会で理事。函館競馬執行委員長。
園田牧場が戦争中、軍にジャガイモを供給していたことで戦争責任を追及され、農地改革に伴い、当時100頭の牛と80頭のサラブレッドを繋養していた牧場を取り潰されるという憂き目にも遭った。当時4歳であった芳彦の三男・邦彦が当時を記憶し、「大きな牧場で育ち、毎日馬とあそんでいた。ある日、馬がみんなどこかへ連れて行かれて、友だちを失ってしまった。トラクターがやってきて、厩舎をバリバリと壊しはじめ、牧場は農地になってしまった」と述懐している。
武邦彦
調教師に転じていた叔父・平三の誘いを受けて京都競馬場で騎手となった邦彦は、1960年代に入ると徐々に頭角を現し、1970年代には有数の名手に成長、「名人」、「ターフの魔術師」との異名を取った。邦彦はクラシック三冠競走全制覇、関西所属騎手として初の通算1000勝などを記録した後、1985年、当時史上第5位の記録であった1163勝の成績で引退。調教師に転じた。
lal********:
天性の才能と父親も名騎手だったと言う家庭環境。
bra********:
神がかりですよ。年齢とともに落ちましたが、ただ良い馬に乗ると神発揮すると思ってますが(笑)大阪杯、良い馬に乗れたので来ると買ってました。
rab********:
昔は、毎年G1レースを5勝も6勝もしてましたが、近年は「年に1度勝てるか、勝てないか。」くらいに落ちています。
全盛期の武豊は騎乗能力がズバ抜けていて、どの馬主も「彼に乗ってほしい。」と思っていましたので、どうしても良い馬が彼に集まっていました。
近年は年齢的なこともあり、なかなか勝てなくなったことで、他の騎手に良い馬が回されております。ただ、それでも「あの武豊。」と言うのがありますから、それなりの馬も回って来るわけです。
それに彼は若い頃から、いろんな馬主さんとの良い関係を築きあげておりますので、今でも良い馬があたります。
gor********:
恐らく あなたはイメージでそう思ってるんだと思います
競馬というと 武豊みたいな 武が騎乗すればG1は必ず勝利みたいな
確かに 若い時の武豊は そういう時期もありましたが 今は そうでもないですよ。今日は大阪杯でG1勝ちましたが 今は少なくとも 武がいつも勝てるようには なってません。もう今は年間勝利数 年間G1勝利数 年間重賞勝利数などもトップではないです 昔ほど騎乗馬にも恵まれてませんし
きたきつね:
●ここ2年の大阪杯
(共に逃げジャックドール)
・22年
12.3-10.3-12.0-12.2-12.0-12.1-11.7-11.5-11.8-12.5
前半600m34.6
前半1000m58.8
・23年
12.4-10.9-12.2-12.0-11.4-11.7-11.5-11.4-11.4-12.5
前半600m35.5
前半1000m58.9
去年は藤岡騎手で負けて今年は武豊騎手に乗り代わっての勝利だけど
1000Mの通過タイムはほぼ同じなのに
最初の600Mまでのタイムは今年の方一秒近く遅い
武豊騎手は最初の600Mまではペースを落としてるんですよね
こうやってペース配分をきちんと守って乗ったから
今日も最後は逃げ粘る事ができた。
こういう風に騎乗をしてたらそりゃ馬主さんも
武豊騎手に乗ってもらいたいって思うわけですよ
zon********:
決めるのは馬主や調教師ですから
武豊の実力です。
ジャックドールは藤岡では、後一歩
G1を勝てないと判断したんでしょ
ID非表示:
最終的にどの馬に乗るかは騎手が決めます。なので武豊本人の実力です。
gis********:
武豊ばっかり?今は毎年1回ずつくらいしか勝ってませんけど
武さんも流石に50歳超えてるので当たり前ですが体力=腕力的には衰えてます。なので近年でG1を勝った時は大外一気(ドウデュース)か正確な逃げ(ジャックドール・インティ)が決まった時だけです。
キタサンブラックは歴代でも最強クラスなので誰が乗っててもそんなに変わらないし(実際に北村宏司でもG1勝ってる)、ワールドプレミアは福永でも天皇賞春を勝ってるようにステイヤーとして強かっただけだし。
mas********:
簡単に言えばJRAが作り上げた大スターですから
岡部幸雄元騎手の彷彿ですよ
無敗のシンボリルドルフから無敗のディープインパクトにバトンタッチしてね
岡部さんの軌跡を、豊さんが辿ってる感じですよ
岡部さんの場合は苦労した時代ですので、デビュー当初は決して強い馬に恵まれず、本格化したのは35歳を過ぎてシンボリルドルフと出会ってから、トップジョッキーとしての道が開きました
そして引退まで素晴らしい記録を打ち立てました
ですがもし、岡部さんがデビュー当初からずっと強い馬を当てがられ、引退までトップジョッキーだとしたら?
そう仮定した場合のリアル版が武豊ですよ
競馬はドラマです
レースは人が作り上げた物語です
騎手の成績も人が作り上げた物語です
たしかに武豊はデビュー当初から、馬のあたりも柔らかく、技術も素晴らしい名手でした
競馬学校時代からも、抜群な騎乗技術をもっていたようです
その武豊に目をつけて、ドラマの主役に抜擢したのがJRAです
そんな素晴らしい技術をもった優秀な武豊騎手に、強い馬をばかりを乗せたらどうなるだろう?と現実化させた結果が、前人未到の大記録ですよ
デビュー当初から素晴しい活躍で、平場、重賞、そしてG1の常連でした
年間200勝以上など、信じられない記録も彼が打ち立てました
20年以上も長く武豊の時代が続き、2010年に社台Fの社長が武豊に激怒し、豊の一気に勝ち星が減りましたね
あれもドラマです
競馬界には芸能界と同じようにスターが必要です
馬も騎手も芸能人のようなものです
いつまでも武豊に勝たせてたら、次のスターが育たないので、武豊には一線を降りてもらいました
もちろん武豊も承知ですよ
したがって社台Fの社長と武豊の関係に亀裂など入ってませんよ
すべて筋書き通りのドラマですよ
武豊が社台に干されたと本気で思ってる人は、根が素直な人だと思いますよ
勝ち星は減っても、今後は競馬界の現役レジェンドとして大きく君臨し、大記録を打ち立てて引退するというストーリーを約束されて、現在に至ると思いますよ
G1全勝もすると思いますよ
彼の引退までの有終の美のストーリーは、すでに出来上がってると思います
今後、あと何勝して、いくつG1レースを勝って辞めるのか
もうストーリーは完全に出来上がってますよ
誰も超えられない記録を残して引退して行く筋書きはできてますよ
武豊はJRAが作り上げた特別な存在ですよ
torasuto:
昨日は上手く乗られました。
ただ若手が人気で逃げたら早めに競り掛けて潰されます。
豊様に競り掛けて潰すのはいないと思います。
失礼しました。
1151300496:
確かに武豊も全盛期は無敵の強さでしたが近年は年齢もあら勝率は落ちていますよ
もちろん勝利の要因は馬主からの依頼もあるし彼の高い技術もあります
それと貴方が目にするのはニュースや報道ですね
彼はネームバリューが高いので彼にはニュースとしての価値があるから貴方の目にも入るのです
アイネアス:
函館大経直弟子の武彦七からの連麺続く才能です。
武彦七→武芳彦→武邦彦→武豊
武彦七
日本近代馬術の祖・函館大経に師事してフランス馬術を学び、自らも「乗馬をするのに手綱は不要、木綿糸一本あれば鞍下に日本紙を入れておいても皺にならぬ」と賞される名手となった。
武芳彦
園田牧場を継いだ。北海道馬主協会で理事。函館競馬執行委員長。
園田牧場が戦争中、軍にジャガイモを供給していたことで戦争責任を追及され、農地改革に伴い、当時100頭の牛と80頭のサラブレッドを繋養していた牧場を取り潰されるという憂き目にも遭った。当時4歳であった芳彦の三男・邦彦が当時を記憶し、「大きな牧場で育ち、毎日馬とあそんでいた。ある日、馬がみんなどこかへ連れて行かれて、友だちを失ってしまった。トラクターがやってきて、厩舎をバリバリと壊しはじめ、牧場は農地になってしまった」と述懐している。
武邦彦
調教師に転じていた叔父・平三の誘いを受けて京都競馬場で騎手となった邦彦は、1960年代に入ると徐々に頭角を現し、1970年代には有数の名手に成長、「名人」、「ターフの魔術師」との異名を取った。邦彦はクラシック三冠競走全制覇、関西所属騎手として初の通算1000勝などを記録した後、1985年、当時史上第5位の記録であった1163勝の成績で引退。調教師に転じた。