【競馬好きな人は見るの注意】スキルウィング?っていう馬が競馬のゴールしたあとに死んじゃったらしいですね
名前も初めて聞いたし未成年だから競馬に興味があった訳でもないんですが、それをツイートしてる人のリプ欄を見てみたら虐待だ!っていう人もいればそれに対して遺伝子操作してるんだから走ることが意義って言ってる人もいました
虐待かどうかは知識0の自分がとやかく言えることでは無いですが、個人の意見としては「馬を早く走れるように遺伝子操作したりブリーディングしたりするのも全て競馬という娯楽が生まれたからじゃないのか」と思いました。
競馬は虐待なのか違うのか、理由も含めて書いていただけると幸いです。また、自分の意見は理にかなったものなのか無知故のものなのかも教えて頂けると助かります
回答
torasuto:
正しい表記で良かったです。
○[死んだ]で、亡くなったでは無いです。
文明国のイギリス、フランス、イタリア、ドイツからアメリカまで[動物虐待]で競馬を何時までに国として止めますって聞いたことが有りません。
動物虐待とは家用のペットが餌も与えられず挙句の果てに捨てて保健所で殺処分の事です。
競馬用の馬を競馬で使うのに問題を感じません。
よって競馬は虐待とは思えません。
失礼しました。
ID非表示:
完全なる虐待だとは思いませんが、それでも1歩間違えば虐待になりうる要素もあるとは思います。種付けとか馬にとって結構な負担でしょうし。ただ、だからと言って「競馬を無くせ!」みたいなのは話が飛躍しすぎだと思っています。現役馬だけでも何万って単位でいて、それを世話する厩舎のお金は勿論他の収入源もあるにしろ馬券の売上からも来ている。牧場や動物園だけでは馬が運動する為に必要な敷地面積なんて到底足りないだろうから競馬場という一度に百頭以上が走れる場所をいくつも作り、それをギャンブルにする事で馬の世話をするためのお金を大衆から頂いている。競馬ってそういう物だと自分は認識しています。
あとは引退後の話ですね。現状では殺処分もやむなしとされています。しかし今後引退馬協会を筆頭に引退馬達が平穏な余生を過ごせる場所が増え、殺処分される競走馬の数をゼロにする事ができればそれで十分なんじゃないかなと思います。
********:
小型犬も同じように人間が生み出したもので、宮崎駿がぼろくそに言っていました。
sho********:
何をもって虐待と捉えるかは視点で大きく変わると思います。
環境省の定義では
《動物虐待とは、動物を不必要に苦しめる行為のことをいい、正当な理由なく動物を殺したり傷つけたりする積極的な行為だけでなく、必要な世話を怠ったりケガや病気の治療をせずに放置したり、充分な餌や水を与えないなど、いわゆるネグレクトと呼ばれる行為も含まれます》
となっています。
例を挙げます。
ストレス発散のために動物に向かってボウガンで矢をいる、これは虐待でしょうか?
産まなくなるその日まで鶏を小屋に閉じ込めて無制限に卵を産ませ続ける、これは虐待でしょうか?
癒やしのために猫を飼う、それも飼いやすさのために去勢や避妊手術をする。これは虐待でしょうか?
新薬を開発するにあたり副作用の有無を検証するためにマウスに注射して実験をする。これは虐待でしょうか?
遠いところへ移動するために高速道路を建設しました。そのために森を切り開きそこに住まう動植物をないがしろにしました。これは虐待でしょうか?
人間と動物の関わりにおいて人間は自分たちの社会生活向上のためにたくさんの動物の命を犠牲にしています。
これを虐待と定義するなら全ての行為が虐待にあたりますが、コレらすべてを虐待だと非難する人はほとんどおりません。
虐待と非難するのはボウガンで矢をいるくらいでしょう。
なぜでしょうか?
そう、環境省の定義にあるように《正当な理由がある行為》と言い訳できるからです。
人間は自分の都合を優先します。
いつでも美味しい卵を食べられる生活が当たり前になりました。
ペットは可愛いです、もはやペットのいない生活は考えられません。
常に進化するウイルスに対抗するために新薬の開発は続けねばなりません。
車に乗り遠くに出かけることが容易くなった現在、道路整備されていないと経済も回らなくなってしまいます。
このように正当な理由があるから虐待ではないと言い訳しているのです。
結局は動物を自分達の都合の良いように使役している事実は変わらないのに、です。
私はそれは仕方のないことだと考えます。
これが人間の罪深さであり、業の深さであると考えます。
今の生活を維持していくために動物の犠牲を踏み台にするのは、正しいとか正しくないではもはや語ることができないほどに当たり前の日常と化しているが事実でしょう。
本題に入ります。
競馬における競走馬は産業動物です。
早く走るために人間が作り出した動物です。
それで利益を得るために人間が使役しています。
レースに出せば賞金を得られますし、活躍できればその後に繁殖用として莫大な利益が期待できます。
これは畜産も同じです。
牛や豚は手塩にかけて育てられ、素晴らしい肉質が認められれば高値で売ることができます。品質が認められればブランド化して永続的に利益を得ることが期待できます。
ではここで一つ。
競走馬は娯楽だから虐待ですか?
牛や豚は食用だから虐待じゃないですか?
答えはどちらも同じ、
どちらも利益を得るために使役するという正当な理由があるのですから法律上に問題はありません。
交配や育成などはより多くの利益を得るためのための努力研究であり、経済活動の一環であり虐待とは言えません。
ご質問の答えですが、
競走馬は利益をたくさん生み出すために人間が使役している産業動物です。
それは経済活動と見なされ、問題ないと認められるからこそ虐待には当たりません。
貴方の意見はおそらく倫理的な側面が多大に含まれているのでしょう。
倫理的に見れば可哀想な存在だという意見は当然正しいです。
それは前述したように人間が身勝手に利用している側面が含まれているからです。
とはいえ、それを虐待と定義してしまうと次から次へと虐待と認めなくてはならなくなり、ついには人間の社会生活が成り立たなくなる恐れも出てきます。
そもそも動物の犠牲で成り立つ今の生活を謳歌しているくせに、一つの事例を取り上げて非難するのは傲慢じゃありませんか?と言われたら反論できないでしょう。
貴方は無知だとは思いませんよ。
ただまだまだ多角的な視点から見ることが出来ていないだけなのかなと。
ミクロとマクロ、視点を変えると見えるものも世界も違ってきますからね。
余談ですが、私は競馬を楽しんでいます。
一競馬ファンとして言えることとして、
私たち競馬ファンも残酷な背景が競馬にあることは理解しています。
理解した上で私たちは、今目の前にいる競走馬を全力で応援しています。
それが弔いになるとかそんな高尚なことではなく、ただただそれしか出来ないからそうしているのです。
もちろん募金活動などやれることはありますが、そういうことではなく、競馬への向き合い方として今そこにいる競走馬を全力で愛して応援していく、亡くなるその時まで。
それでいつか亡くなった時に「俺たち人間の都合で今までごめんな、ありがとう」って頭を下げる。
競馬ファンは私と同じくそういう感情でやっている人が多いです。
…多分ね、、
いや、そうだと願いたいですね(^_^;)
知恵袋ユーザー:
虐待かどうかは主観によるでしょうね。
ベジタリアンから見れば、肉を食べる人間は悪魔に見えるわけで。
chimpenzee:
日本は法治国家ですから、法律が決めています。
動物を虐待すれば器物破損や動物愛護法で罰せられます。
食べるために牛を屠殺する場合、いちいち逮捕されていたらきりがないので、そこは法律で守られ正当化されています。
競馬はそれも同様なのです。法律で守られて正当化されており、動物虐待には当たらないとなっています。
法的な側面から見ればですが、競馬は動物虐待ではないと言えます。
法的な面以外の感情論も、もちろんないがしろに出来ないとは思いますが、感情的になっている人は一時の感情なのか、継続して行動を起こすまでになるのかも考えた方がいいと思っています。
一時の感情なら、それは何もしないのと同じなので。口だけの言っている奴が多いのもまた悲しい現実かなぁと思います。
JUN:
色々意見有りますが、
私の最終見解は馬が虐待だと感じれは虐待です!
確かめる事が出来ない!
よって結論は出ません!
深く考えればきりがありませんが、
地球上で1番上位に君臨しているのが人間だと言うことです!
その人間でも、今の世の中になっても戦争して殺しあってると言う現実です(>_\u003c)
魚群に包まれたい:
競馬をめちゃくちゃしてる者です。
競走馬は早く走る為に生まれてきて、
結果を出せない9割以上が処分されてしまうのが競馬という娯楽の世界です。皆さんがテレビで見てるのは毎年生まれて来る馬達のほんの一握りの生き残ってる馬達です。その事だけを見れば虐待以外にないでしょう。
しかしその世界で生活している人達が多くいますし、その娯楽によって集まってるお金で社会が豊かになってるのも事実です。
人が豊かに生きる裏には何かしらの代償があります。何気に使ってる電気一つとっても自然を破壊してます。
人間全体が豊かさを求める事を放棄しない限り、この問題だけを非難するのは難しいと思います。
今の生活がもっと豊かになればいいのにと心で思っているのであれば、競馬の世界も必要枠ではないでしょうか。
1219752496:
競馬の存在そのものが虐待みたいなものだ、と言う主張なら一理あるとは思います。
しかしながら虐待と言うのは古くは暴力に対して、最近ではネグレクトなど精神的や経済的なものでも言うようになった言葉です。
なので日々世話をされている従事者達はそんなつもりで働いてる人は皆無に近いでしょうし、虐待と言うのはその人達に失礼な物言いでもあり事実としても違います。
ただ一部では日常的に馬の虐待をしているバカもいるとは思います。
結果、人を信用しなくなる馬もいるようですね。
rab********:
正解は「上手く、納得のいく説明は出来ない。」だと思います。
その辺りは競馬ファンでさえ、目をつぶっているところではあります。難しい問題には間違いありませんから。
ご存じのように、競馬は強い馬を作るためにサラブレッド同士を交配させ、新しい馬を誕生させます。馬同士が望む、望まないは関係なしです。
レースではムチをふるい、いち速いゴールを目指します。当然、他の馬に勝つためです。
そのレースには賞金がかけられ、その賞金はファンがギャンブルとして賭けた掛け金から支払われます。
そして、大量に生産をしたにも関わらず、その中から生き残れるのはごくごく一部の好成績を残した馬だけ。あとの馬はご存じかと思います。
これだけ見ると、「人間のエゴだけでなりたっている。」と思われても致し方ないです。当然、アンチからは「虐待」だの言われますし、それに対してファンは「法律的に問題ないから。」としか言えません。残念ながら、そうやって成り立っているのが競馬なんですよ。
torasuto:
正しい表記で良かったです。
○[死んだ]で、亡くなったでは無いです。
文明国のイギリス、フランス、イタリア、ドイツからアメリカまで[動物虐待]で競馬を何時までに国として止めますって聞いたことが有りません。
動物虐待とは家用のペットが餌も与えられず挙句の果てに捨てて保健所で殺処分の事です。
競馬用の馬を競馬で使うのに問題を感じません。
よって競馬は虐待とは思えません。
失礼しました。
ID非表示:
完全なる虐待だとは思いませんが、それでも1歩間違えば虐待になりうる要素もあるとは思います。種付けとか馬にとって結構な負担でしょうし。ただ、だからと言って「競馬を無くせ!」みたいなのは話が飛躍しすぎだと思っています。現役馬だけでも何万って単位でいて、それを世話する厩舎のお金は勿論他の収入源もあるにしろ馬券の売上からも来ている。牧場や動物園だけでは馬が運動する為に必要な敷地面積なんて到底足りないだろうから競馬場という一度に百頭以上が走れる場所をいくつも作り、それをギャンブルにする事で馬の世話をするためのお金を大衆から頂いている。競馬ってそういう物だと自分は認識しています。
あとは引退後の話ですね。現状では殺処分もやむなしとされています。しかし今後引退馬協会を筆頭に引退馬達が平穏な余生を過ごせる場所が増え、殺処分される競走馬の数をゼロにする事ができればそれで十分なんじゃないかなと思います。
********:
小型犬も同じように人間が生み出したもので、宮崎駿がぼろくそに言っていました。
sho********:
何をもって虐待と捉えるかは視点で大きく変わると思います。
環境省の定義では
《動物虐待とは、動物を不必要に苦しめる行為のことをいい、正当な理由なく動物を殺したり傷つけたりする積極的な行為だけでなく、必要な世話を怠ったりケガや病気の治療をせずに放置したり、充分な餌や水を与えないなど、いわゆるネグレクトと呼ばれる行為も含まれます》
となっています。
例を挙げます。
ストレス発散のために動物に向かってボウガンで矢をいる、これは虐待でしょうか?
産まなくなるその日まで鶏を小屋に閉じ込めて無制限に卵を産ませ続ける、これは虐待でしょうか?
癒やしのために猫を飼う、それも飼いやすさのために去勢や避妊手術をする。これは虐待でしょうか?
新薬を開発するにあたり副作用の有無を検証するためにマウスに注射して実験をする。これは虐待でしょうか?
遠いところへ移動するために高速道路を建設しました。そのために森を切り開きそこに住まう動植物をないがしろにしました。これは虐待でしょうか?
人間と動物の関わりにおいて人間は自分たちの社会生活向上のためにたくさんの動物の命を犠牲にしています。
これを虐待と定義するなら全ての行為が虐待にあたりますが、コレらすべてを虐待だと非難する人はほとんどおりません。
虐待と非難するのはボウガンで矢をいるくらいでしょう。
なぜでしょうか?
そう、環境省の定義にあるように《正当な理由がある行為》と言い訳できるからです。
人間は自分の都合を優先します。
いつでも美味しい卵を食べられる生活が当たり前になりました。
ペットは可愛いです、もはやペットのいない生活は考えられません。
常に進化するウイルスに対抗するために新薬の開発は続けねばなりません。
車に乗り遠くに出かけることが容易くなった現在、道路整備されていないと経済も回らなくなってしまいます。
このように正当な理由があるから虐待ではないと言い訳しているのです。
結局は動物を自分達の都合の良いように使役している事実は変わらないのに、です。
私はそれは仕方のないことだと考えます。
これが人間の罪深さであり、業の深さであると考えます。
今の生活を維持していくために動物の犠牲を踏み台にするのは、正しいとか正しくないではもはや語ることができないほどに当たり前の日常と化しているが事実でしょう。
本題に入ります。
競馬における競走馬は産業動物です。
早く走るために人間が作り出した動物です。
それで利益を得るために人間が使役しています。
レースに出せば賞金を得られますし、活躍できればその後に繁殖用として莫大な利益が期待できます。
これは畜産も同じです。
牛や豚は手塩にかけて育てられ、素晴らしい肉質が認められれば高値で売ることができます。品質が認められればブランド化して永続的に利益を得ることが期待できます。
ではここで一つ。
競走馬は娯楽だから虐待ですか?
牛や豚は食用だから虐待じゃないですか?
答えはどちらも同じ、
どちらも利益を得るために使役するという正当な理由があるのですから法律上に問題はありません。
交配や育成などはより多くの利益を得るためのための努力研究であり、経済活動の一環であり虐待とは言えません。
ご質問の答えですが、
競走馬は利益をたくさん生み出すために人間が使役している産業動物です。
それは経済活動と見なされ、問題ないと認められるからこそ虐待には当たりません。
貴方の意見はおそらく倫理的な側面が多大に含まれているのでしょう。
倫理的に見れば可哀想な存在だという意見は当然正しいです。
それは前述したように人間が身勝手に利用している側面が含まれているからです。
とはいえ、それを虐待と定義してしまうと次から次へと虐待と認めなくてはならなくなり、ついには人間の社会生活が成り立たなくなる恐れも出てきます。
そもそも動物の犠牲で成り立つ今の生活を謳歌しているくせに、一つの事例を取り上げて非難するのは傲慢じゃありませんか?と言われたら反論できないでしょう。
貴方は無知だとは思いませんよ。
ただまだまだ多角的な視点から見ることが出来ていないだけなのかなと。
ミクロとマクロ、視点を変えると見えるものも世界も違ってきますからね。
余談ですが、私は競馬を楽しんでいます。
一競馬ファンとして言えることとして、
私たち競馬ファンも残酷な背景が競馬にあることは理解しています。
理解した上で私たちは、今目の前にいる競走馬を全力で応援しています。
それが弔いになるとかそんな高尚なことではなく、ただただそれしか出来ないからそうしているのです。
もちろん募金活動などやれることはありますが、そういうことではなく、競馬への向き合い方として今そこにいる競走馬を全力で愛して応援していく、亡くなるその時まで。
それでいつか亡くなった時に「俺たち人間の都合で今までごめんな、ありがとう」って頭を下げる。
競馬ファンは私と同じくそういう感情でやっている人が多いです。
…多分ね、、
いや、そうだと願いたいですね(^_^;)
知恵袋ユーザー:
虐待かどうかは主観によるでしょうね。
ベジタリアンから見れば、肉を食べる人間は悪魔に見えるわけで。