フサイチコンコルドのダービーについて、関東の人は「1週間前まで名前すら知らなかった馬に勝たれた」と言っていたそうですが、事実ですか?
理由はグリーンチャンネルは放映開始から1年半しか経っておらず、契約者は極めて少なかったことや、当時は関東での関西地区のレースの発売・放映はメインのみ(2戦目のすみれステークスは第9レース)で、フサイチコンコルドのレースの放映は関東地区ではグリーンチャンネルを除き一切なく、馬券の発売も一切なかったことや、競馬新聞やスポーツ新聞も関東版と関西版に分かれていて、発売のないレースの出走表や成績は一切載らなかったためだそうです。
回答
そうですね、ほぼその通りの状況でした
逆に私はそこに目を付けて◎フサイチコンコルドで配当に期待しました(^_^)
皐月賞不出走でオープン特別からの戴冠は過去にシリウスシンボリの例がありましたからね(‘_‘?
因みに当時の関西のレースは全国発売レース以外は、載ったとしても枠順名前と◎✕が付いただけの小さな囲み記事の扱いでした
馬券発売が無かったので当然大きな馬柱は載りませんでしたね(‾‾∇‾‾ゞ
- ファルーカ
- シリウスシンボリは逆パターンで、関西の人が「1週間前まで名前すら知らなかった馬に勝たれた」という状況だったと思います。
kiryu:
当時自分はダビスタに嵌ったのがきっかけで競馬に興味を持ち、子供ながらに「サラブレ」や「優駿」、「ダービーを一生遊ぶ」などの競馬誌を愛読していましたが、特にフサイチコンコルドという馬名をダービー前に見た記憶はありません。
春のクラシック特集とかでどこかに小さく名前は載っていたのかもしれませんが、1996年の競馬誌は「今年もサンデーサイレンス旋風だ、ダンスインザダークだ、武豊ついにダービー初制覇か」が情報のメインだったと記憶しています(つまり、一部のサンデー産駒以外はほぼもう「その他大勢」みたいな扱いだったと記憶しています)
全国区の競馬誌がその状況で、インターネットもまだ今のように情報収集が手軽にできるようなものではありませんでしたから、一般的な競馬ファンは関西含めてほぼフサイチコンコルドのことは知らなかったと思います。
ただ当時はインターネットとは別枠でニフティサーブというパソコン通信サービスがあり、コアな競馬ファンはそこで地方競馬を含めた情報交換をしていたようですし、関西ファンだけの単勝支持だけで7番人気にはならないと思いますから、「関東の競馬ファンが全く知らない」ということはなかったと思いますよ。
ニフティサーブについてはすでにご存じだったら申し訳ありませんが、「ニフティサーブ 競馬」とかでGoogle検索すれば出てくるかと思います。
- ファルーカ
- もちろん知ってます。
ただ、当時のインターネット普及率は極めて低かったことでしょう。
1割も行かないと思います。
zon********:
ナンバーってスポーツ雑誌があって
ある記者のコラムで関西の秘密兵器として
フサイチコンコルドを挙げてましたよ
あのユーモアな小林稔調教師が
ダンマリ口を閉ざしている馬がいるとか
- ファルーカ
- 関西の秘密兵器だの言われるのって、もうレース1週間前とかそんなんでしょう?
結局同じことじゃん。