競艇です。
ランナー戦を覚えていますか?
特に masaomi1337さん に回答をお願いします。
何か覚えていましたら、披露をお願い致します。
私はハイドロはサッパリだめなのに、ランナーになると俄然元気が出て強かった本田順也(漢字は不明)などを覚えています。三連単や三連複は有りませんでした、ので未だに二連単の癖が抜けません。
ベストアンサー
gar********:
住之江競艇歴40年以上です。住之江のランナーボートは他場より約10キロ軽い軽量ボートで軽ランと呼ばれてました。その為に住之江大好きレーサーと苦手なレーサーもいて結構面白かったですよ。当時の出走表にはレーサーの希望するボートの欄があり、ランナー希望の選手は1レースか5レースのランナー戦に組まれていました。また待機行動時間も三分間でしたからベテラン選手は進入時にやりたい放題の場面もありました\(^o^)/地元の看板選手だった野中和夫選手でも節間必ず一回はランナー戦に組まれており、上手に乗りこなしていましたよ。とにかくランナー戦はイン絶対有利でしたから6枠の勝率は高いものでした(今と違いインに近いのは6枠)ランナー名人と言えば香西豊に香西洋一、ハイドロとの両刀使いの黒明良光、大森健二等の岡山勢が思い出されます。変わったところでは体重73キロで走っていた松田栄選手。彼は住之江のランナー戦になると重い体重をものともせず好走していました。ランナー希望の選手は年に二回開催されるオールランナー戦が賞金も高く、白熱したレースが展開されました。現在、現役最年長レーサーの高塚清一選手も両刀使いでランナーを苦にしない選手でした。スピード感は劣りますがモンキーターンより上体をボートより投げ出すターンと直線でのシャクリ合戦が見どころでした。今の若手には乗りこなせないでしょうね\(^o^)/
- watanabe、n:
- 回答ありがとうございます!
INが六番でしたか、私の記憶違いでしょうか、INが一番だったと思い込んでいました。そうでしたか。私の話も四十年位前の事ですので、場所と時間は一致しています。その後東京に転勤で住之江、尼崎とはご縁がございません。
殆ど忘れていますね、選手名もシステムも、それと又記憶違いか知れませんが、四十年前ですから時効でしょう。ノミ屋が大きな顔で堂々とノミ行為をやっていませんでしたか、スタートしてるのに、それから買う客がいてたように記憶したいますが、記憶違いでしょうか。おばちゃんがポシェットのような布製の入れ物にこれ見よがしに札束を入れてノミ行為をやっていました。
また取り留めのない話になりました。
その他の回答
私はかずお:
うわぁランナーか、すごい懐かしく思いますよ。
私は多摩川が近かったので結構遅くまでランナーを見ましたよ。一日に数レース、ランナが組まれていました。強かったのは高田登、浅見、納富、永田、こういった選手はハイドロも強かったがランナも強くスタート後のしゃくりが強烈でターンマークでは内傾きに体重移動してシャーってな感じで回っていた。たまにあまりうまくない選手が頭を回るとドキドキ物で終わればやっぱり猛者に食われてしまったりどっかのマークで振込み転覆なんてのいつもの事でしたね。定かでは有りませんが確か若手で一人、遠藤晃司だったかなぁ、これはランナが乗りこなせた。ランナの選手権も確かやっていたがこれは関東ではやらなかった。関東でもハイドロの優勝とランナの優勝は同じ節にやったと思う。18で競艇はもう一ちょ前にやっていたけど、古き良き時代でした。
江戸川と桐生は6枠からの並びで江戸川などでは土手の上からこらー気合い入れろ!とか叫んだものです。確か安心院信行だったかなぁ、殉職してから江戸川も特に前ずけが厳しくなったと思いますよ。それでもたまには1番(6コース)からのまくりが決まりだいたい万券になり、自分の生涯で一日の最高配当を取ったのもある日の最終レースの1-2-3、今でいう654です。配当を受けたのが130万くらいだったと記憶しています。その日はほかでも1の頭で取っていましたから150万くらいのお金を持って帰った記憶です。 しかし博打ですから場が口を開けて待っていますから、やはり今までをトータルすれば大きな損失ですね、あはは。
私はそのご海外へ出てしまいましたのでたまの帰国時にしか競艇はやりませんがやはり2連単が主体になってしまいます。3連単はやはり抜けが多くかといって流せば点数が多くなるからあまり太くは買えませんから2連で絞って穴を狙います。この方が自分にとって効率よくお持ち帰りが出来ますから。あはは、まぁ人それぞれの買い方で楽しめばいいし。。 取り留めもなく書いてしまいましたが懐かしくて良い時代でしたね。野中にまつわる面白い話や彦坂のインナージェットの違反、つられるように続々と安部などとか強豪が辞めていった行った事とかいろいろありました。板をかまして首になった北山二郎などはチルトの先駆者です。あっはは。良い選手だったなぁ。。。。。
- watanabe、n
- 関西だったのでインの6番は知りません。関西はインは1番でした。ターンは艇を傾けてのターンでしたね。
150万円ですか、そんな大金取ったことは在りません7~8万円ぐらいです、懐かしいです、野中、彦坂、女性のはしりで鵜飼でした今も走っていますが。数年前にあのベテラン加藤も引退しましたね。
では、また。
yuu********:
関東地区在住なのでランナー戦は見たことないですね
30年くらい前までは関西や九州では一日に何レースかやっていたみたいですけどね、ハイドロとちがって横にスライドしないから、内側に傾けて回っていくみたいですけど、
桐生ではそのころ3Pハイドロのボートのレースを一日何レースかやってましたね。
- watanabe、n
- 回答ありがとうございます!
>桐生ではそのころ3Pハイドロのボートのレース
3Pハイドロを知りません、どんなボートだったのでしょうか?
調べてみます。
ありがとうございます!
santana:
nabe3niさん、おはようございます!
私と同じ位の年代のようですね、ランナーの頃に競艇覚えましたが、今の競艇は昔よりもスピードがあって面白いと思いませんか ?
私は本場に行くとモーター音などが物足りないです、昔は水面ギリギリの所でレース
見ていると体で感じられる あの深みのあるモーター音が懐かしいです
たしかボートも木製だったと思います
江戸川競艇ではインが6号艇でした、6-5が一番人気、昔は江戸川でも前ヅケした選手
いたのですが最近はまったくいないです、選手の名前などは忘れましたが
岡正光選手だったかないつもイン取りに来て150m位深くなっても逃げ切っていたのを覚えています、
若かった頃 江戸川で2-3を5千円、(今だと5-4です)、2連単で9800円の配当取ったときは手が震えるくらい嬉しくて競艇仲間10人位に見せたら、お前は競艇の事 何も
知らないから買えるんだよとバカにされたの覚えています。
昔覚えたスジ券などでは今の競艇では通用しませんね、変な文章になってしまい申し訳ありません。
- watanabe、n
- へ~~ 知りませんでした。インが6番ですか、今の1番ですね。大阪で競艇を覚えましたがインが1番でした。そうですね、二連単と二連複と単勝と複勝ぐらいだったですね、それと1-6は1-6の窓口でしか売っていないので1-6と6-1を買おうとすると1-6を買って2の窓口3の窓口ずーと行って6の窓口でやっと買えると言うぐらい不便でした。
大阪でしたので住之江と尼崎によく行きました。今は東京ですので戸田が一番近いです。
話に纏まりがありません。では、また。
主席研究員AI:
nabe3niさん…こんばんは
って深夜ですけど (苦笑)
平昌オリンピックのハイライト (S1, HEROS) を観てたので夜更かししています^^
折角ご指名頂いたのですが、私はまだ競艇歴が10年余りなので、ランナーはよく分かりません ( ・᷄ὢ・᷅ )
2連単の時代も経験がありませんので…
少しググってみると、以下のサイトがヒットしました。ご参考になるか分かりませんが…
https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1163969451
このカテでは江戸川専門のkanemiさんの回答で2連単の時代は楽しかった!と…記載があったと記憶していますので、kanemiさん又は他の方の回答をお待ち下さい m(_ _)m
- 主席研究員AI
- ↓koro助さん…子供は早く寝なさい‼️
コロ助:
ランナ〜ウェイ〜〜♪
と〜ても〜好きさ〜♪
ランナ〜ウェ〜エイ♪,
- コロ助
- 走〜るぅ〜走〜るぅ〜♪
俺〜たぁ〜ち♪
gar********:
住之江競艇歴40年以上です。住之江のランナーボートは他場より約10キロ軽い軽量ボートで軽ランと呼ばれてました。その為に住之江大好きレーサーと苦手なレーサーもいて結構面白かったですよ。当時の出走表にはレーサーの希望するボートの欄があり、ランナー希望の選手は1レースか5レースのランナー戦に組まれていました。また待機行動時間も三分間でしたからベテラン選手は進入時にやりたい放題の場面もありました\(^o^)/地元の看板選手だった野中和夫選手でも節間必ず一回はランナー戦に組まれており、上手に乗りこなしていましたよ。とにかくランナー戦はイン絶対有利でしたから6枠の勝率は高いものでした(今と違いインに近いのは6枠)ランナー名人と言えば香西豊に香西洋一、ハイドロとの両刀使いの黒明良光、大森健二等の岡山勢が思い出されます。変わったところでは体重73キロで走っていた松田栄選手。彼は住之江のランナー戦になると重い体重をものともせず好走していました。ランナー希望の選手は年に二回開催されるオールランナー戦が賞金も高く、白熱したレースが展開されました。現在、現役最年長レーサーの高塚清一選手も両刀使いでランナーを苦にしない選手でした。スピード感は劣りますがモンキーターンより上体をボートより投げ出すターンと直線でのシャクリ合戦が見どころでした。今の若手には乗りこなせないでしょうね\(^o^)/
- watanabe、n
- 回答ありがとうございます!
INが六番でしたか、私の記憶違いでしょうか、INが一番だったと思い込んでいました。そうでしたか。私の話も四十年位前の事ですので、場所と時間は一致しています。その後東京に転勤で住之江、尼崎とはご縁がございません。
殆ど忘れていますね、選手名もシステムも、それと又記憶違いか知れませんが、四十年前ですから時効でしょう。ノミ屋が大きな顔で堂々とノミ行為をやっていませんでしたか、スタートしてるのに、それから買う客がいてたように記憶したいますが、記憶違いでしょうか。おばちゃんがポシェットのような布製の入れ物にこれ見よがしに札束を入れてノミ行為をやっていました。
また取り留めのない話になりました。