競艇で昔あった出走コールとはどんなものだったのですか?
回答
tosos:
ちなみに、スタート時計前にミニスカのお姉ちゃんがスタートと同時に旗ふってたな。
ID非公開:
私が思い返す昔というのはTV中継も滅多になく旅打ちもしてなかったので、ホームである住之江の事しか言えませんが、リアルに表現するとこうです。
先ずは当時のファンファーレが流れますが、音階を説明するのは無理なので割愛します。そしてファンファーレが終わってから、
「第〇レ~~ス、1800メートル~~~さーーんしゅう(3周)~~~~」でピットアウトです。優勝戦の場合は1800mのところが2400m、3周のところが4周に変わります。ラスト1周でジャンが鳴り、畳んだ状態のチェッカーフラッグを持った者が専用の場所にスタンバイ、各艇がゴールする度に旗を振り下ろします。
因みにピットの並びが逆だったので進入も6枠が有利に。なので6-5や6-4という結果が多かったですし実況は女性でした。今でいうスタート展示・周回展示もありましたが、当時はスタート練習と展示航走という名で、行うタイミングも違っていました。スタート練習は、例えば8レースの場合は7レースの開始前でしかも2回続けて。そしてその8レースの展示航走は7レース終了後といった具合です。何かと時間の掛かるタイムスケジュールでしたので、1日の全レース数は10、つまり最終レースが第10レースだったんです。
余談部分が多くなってしまいましたが、説明ついでに一通りの流れや当時の他の事も知ってほしくなった次第です。大変失礼しました。
gar********:
関西地区なら住之江はファンファーレの後に審判長が「第○レース1800メートル三周」のコールがあり、それがピットアウトの合図でした。尼崎は単に「第○レース開始」のコールで住之江に比べれば味はありませんでした(笑)またレース中の失格コールも「○号艇、競技規則第○条違反、失格」と具体的な違反例をコールするなど親切な面もありましたが、今は実況アナがそれを淡々と伝える味気ないものになっています。
- gar********
- 私の後に回答されたサンメモルカさん、勘違いされてます(笑)10レース制になったのは昭和50年代の第一次オイルショックの影響で一時的に12レース制が10レースになっただけの事で、数年後にはまた現在のように12レース制に戻りました。
Tak:
審判が行うコールです。
エンジン始動後、「第〇レース … 開始!」のコールでファンファーレが流れ、ピットアウトになるものです。
審判コールは他にも
・〇号艇 返還欠場
・〇号艇 失格
・確定 1着〇番 2着〇番 3着〇番 (3着コールは3連勝式導入後から)
がありました。
審判の判断した結果をファンに伝える事が目的ですが、審判の判断は審判が行う趣旨でした。現在はエンジン始動の合図が出走コールに変わるものになり廃止、他の審判コールもアナウンサーが行う形に変更されて廃止となっています。