昔、野中和夫が無双してた頃の競艇は今の時代の競艇と比べてかなりの低レベルでしたか?
あの頃はモンキーターンも無く、落として回るターンだったんですよね?
回答
ジーナ:
当時は落としマイの名手が沢山いました。大阪では後川博、小村和久など長嶺や野中は宿舎の風呂場で今村から全速ターンのレクチャーをうけてました、その今村でさえ、当初はモンキーは危ないからしないと、言ってましたよ。昔はターンスピードより、切り返し、ダンプで凌いだ選手が沢山いました。低レベルなんて事はありません。エンジンの出力もボートもいまとは違いましたから。住之江のボートはとくに関東の選手には乗りにくいものでした。長さが短いため。
par********:
今でいう雑魚ですね。
あんなとろいターンではB1のがうまい人沢山いますね。
gar********:
低レベルと言うより野中選手の時代は、各レース場によりモーターの性能、ボートの規格もバラバラで、むしろ戦いにくかったはずです。端的な例なら住之江のボートは他のレース場のボートより約10キロほど軽い軽量ボートと言われていました。また同時に実施されていたランナーバウトによるレースもこなさねばならず、むしろ昔の選手の方が苦労したはずです。住之江の軽量ボートを克服すれば、他のレース場のボートは難しくないと言われていた時代です。
ごうかい:
長嶋や王が現役だった頃の
プロ野球と同じレベル
野中がいたから
今の競艇がある
まぎれもない事実の1つ
当時としては最高レベルでも
時が経てば…
ボス鳥居山:
そーです落とすと言うよりモンキーターンなしの座り放しのターンです(^_^)/
ダンプも当たり前でした\u003c(_ _)>内の方でごちゃごちゃやっているのを今村が外全速で交わしてたくらいです