競馬に嫌悪感を感じてしまいます。
同じ動物を扱う動物園や水族館は、娯楽機関であると同時に研究・教育・保護という目的があり、その恩恵を医療の発展として享受したり、自然環境保護への理解を深めるといった意識の向上につながるため、活動に理解できます。
しかし、競馬は単なる娯楽ではないでしょうか。人間の娯楽のために交配を管理され、鞭を打たれ、レース中に怪我をしたら殺処分されるというのは見ていてとても辛いです。
収益の一部が税金として公共の福祉に役立てられるという面もありますが、税金を得る手段として賭け事に動物を用いることは倫理上よろしくないと思っています。
世界的に人権意識が高まっている現在、その意識を動物にも向けるべきではないでしょうか。
回答
paz********:
競走馬は経済動物と分類されます
食用の家畜と同じ扱いです
だから自分は競走馬に愛着を感じます
もしも自分が生まれ変わるなら血統書付きの松坂牛よりもサラブレッドに憧れます
>世界的に人権意識が高まっている現在、その意識を動物にも向けるべきではないでしょうか。
それを口先だけで言ってしまえる人は今後の人生において肉も野菜も食べない方がいいと思います
生きているだけで説得力を失いますから
- 1149969820
- 私は全ての面おいて動物を保護しようとは思っていません。肉も野菜も食べていかなければ生きていけませんから。生きていく以上殺さなければいけない命もあります。
ただ、娯楽のために馬を使役させる必要はないと考えているのです。サーカスでも動物使用を禁止する国が増えているのと同じ理由です。
経済と倫理の間で解決できない疑問かもしれませんが。。
ジュンヴァル:
これは考え方の相違と思って下さい。
私は競馬は「文化」と思ってます。
馬券は「ギャンブル」です。
文化を維持するには「人・物・金」が必然です。
人・・すべてのホースマン及び間接的に携わる人
物・・馬
金・・馬券と、その収益です。
競馬の文化を維持する為に、考えられたシステムです。
動物園・水族館等も維持・管理する為に
「入場料」等で維持し研究機関には税金が投入されてます。
基本システムは競馬と同じです。
馬の生産・育成は他の牛・豚にも応用されています。
「血の理論」です。→乳牛はこの理論です。
この理論の実証試験の場が「競馬レース」です。
競馬レースの本質は「種牡馬検定競争」
ちなみに「犬」・・日本ではペットとしての
文化です。反面、売買価格高騰する子犬は
異常とも言える交配にて生まされ売買されます。
しかも、日本には推定、数百万頭の捨て犬が
存在する事実・・・
数百万人の飼い主・・つまり「人間」です。
エレキング:
動物園や水族館、入場料取ってる時点で人間が生きて行く為の糧ですよ。
競馬だって一緒。
人間が馬を作って走らせて処分する。
人間が牛を作って肉にして消費する。
人間が犬を作って放ったらかしにして全滅する。ブリーダーがトンズラかました時はこれでしょ。
人間は食物連鎖の頂点ですから、何でも有りなんです。
研究もするし保護もするし虐待もするんです。
ネズミが邪魔なら薬や捕獲機使って殺す!
馬が必要なら何億も金払って買う!
そこにイチ個人の感情がどれだけの意味が有るのか?
だから私は深く考えるのを辞めました。
for********:
個々の動物に対する価値観なんて、人それぞれでアタリマエ。法に反した行動してない限り、良いも悪いも無いっす。
凸:
ご立派な意見だと思います。
けど、競馬が好きな私からしたら、
競馬も動物園も水族館も、
そんなに違いはないだろうと思ってしまいます。
どんなに立派な目的があったって、
いずれにしても人間のエゴでしょ。
競馬と動物園、やってることがそんなに違いますかね・・・。
もーろくじーヽ(´o`;):
人それぞれ考え方があるので良いんじゃないですか、どうにも我慢出来ないなら撲滅出来るように行動を起こしましょう。
それが無理ならば見過ごすか、情報を遮断して無いものとするかですね。m(._.)m
ID非表示:
まず最初に、競馬は現在でも世界中で行われています。ヨーロッパ、アメリカ、アジア、中東、アフリカ、全てです。
競馬の歴史は古く、近代競馬の基礎を作り上げたのはイギリスですが、世界最古のものは紀元前12世紀の古代ギリシャで、日本でも平安時代から独自に存在します。そして、競走馬の品種であるサラブレッドやアラブ馬などの先祖は約17世紀〜18世紀の頃に生まれました。
競馬も歴史の深い他の競技や娯楽と同じで、価値観が変わったからという理由で無くすことはありません。
鞭についてですが、鞭に関しては今までも多く議論され、日本では1レースにつき、10回までしか打つ事ができません。また、鞭は馬を痛みつけるために打っているわけではなく、合図として打っているのです。
競走馬の多くを占めるサラブレッドは、ガラスの脚と言われるほど怪我をしやすいです。サラブレッドの体重は約450kg〜500kgあり、怪我をした場合、その体重を他の健全肢で支えなければなりません。その場合、過度な負担がかかり、安楽死させなければ、余計に苦しめる事になります。
競馬は馬にとっても、人間にとってもリスクの高い競技です。しかしながら、それはどの競技も同じことです。競馬だけではありません。
例えば、野球選手は肩を故障すれば引退するしかありません。サッカー選手や陸上選手は脚を故障すれば引退です。人間の競技であれば、故障で引退した場合、関連企業に就職できる人もいます。馬も同じです。故障で引退した場合は、普通の馬と同じ生活を送る事になります。人間は死に直結する事故が起こったとしても、例えそれが本当に苦痛でも、障害が残るとしても、法律上安楽死には絶対にできません。しかし、馬には安楽死という選択肢があるのです。どの競技にも必ずリスクはあります。ですが、どの競技も共通して言えるのは、リスクがあるからその競技を廃止しようとはならないのです。
競馬も同じです。人間の身勝手でと思うかもしれませんが、サラブレッドは人間の世話なしでは生きていけません。野生に解き放てばすぐに絶滅します。競馬が無くなれば競走馬は一切の経済効果も持たなくなりますので、今いる競走馬はまとめて殺処分になるでしょう。また、競馬に関連する企業は全て廃業になり、関係する人も全員失業します。それが人間にとっても、馬にとっても1番幸せな選択なのでしょうか?
競馬は賭博の側面も持ちますが、それ以前に競技です。「かわいそう」の一言で片付ける人がいますが、世の中は「かわいそうだから」という理由だけで何かを無くしたり、生み出したりできるほど甘く、容易にできてはいないのです。
競走馬を引退した馬は、種牡馬や繁殖牝馬になりますが、一生使われるわけではなく、種牡馬や繁殖牝馬を引退すれば、他よりも手厚く管理され、比較的自由に余生を過ごしています。競走馬の寿命は15〜20歳程度と言われていますので、3歳から競走馬としてデビューし、5〜6歳で引退します。そこからは多少の差はありますが、だいたい少し空いて牡馬の場合10〜12歳、牝馬は6〜9歳の間、種牡馬、繁殖牝馬として活躍し引退します。なので、人生の半分くらいは余生を過ごせるのです。これは人間と近いものがあると思います。人間も十数年を教育に費やし、約40年間労働して、老後に入ります。老後はだいたい40〜50年くらいでしょう。なので、人間とほぼ変わらない生活を送っているのです。人間も人間に労働させられているので、競走馬と人間の人生はほぼ同じです。
Oman_Lake:
その動物園のライオンのエサは何かご存知で?
ザジX:
馬の供養のために東京競馬場近辺に、馬霊塔、罵倒観世音菩薩の建屋があります。
https://yuki.liblo.jp/archives/18017843.html,
paz********:
競走馬は経済動物と分類されます
食用の家畜と同じ扱いです
だから自分は競走馬に愛着を感じます
もしも自分が生まれ変わるなら血統書付きの松坂牛よりもサラブレッドに憧れます
>世界的に人権意識が高まっている現在、その意識を動物にも向けるべきではないでしょうか。
それを口先だけで言ってしまえる人は今後の人生において肉も野菜も食べない方がいいと思います
生きているだけで説得力を失いますから
- 1149969820
- 私は全ての面おいて動物を保護しようとは思っていません。肉も野菜も食べていかなければ生きていけませんから。生きていく以上殺さなければいけない命もあります。
ただ、娯楽のために馬を使役させる必要はないと考えているのです。サーカスでも動物使用を禁止する国が増えているのと同じ理由です。
経済と倫理の間で解決できない疑問かもしれませんが。。
ジュンヴァル:
これは考え方の相違と思って下さい。
私は競馬は「文化」と思ってます。
馬券は「ギャンブル」です。
文化を維持するには「人・物・金」が必然です。
人・・すべてのホースマン及び間接的に携わる人
物・・馬
金・・馬券と、その収益です。
競馬の文化を維持する為に、考えられたシステムです。
動物園・水族館等も維持・管理する為に
「入場料」等で維持し研究機関には税金が投入されてます。
基本システムは競馬と同じです。
馬の生産・育成は他の牛・豚にも応用されています。
「血の理論」です。→乳牛はこの理論です。
この理論の実証試験の場が「競馬レース」です。
競馬レースの本質は「種牡馬検定競争」
ちなみに「犬」・・日本ではペットとしての
文化です。反面、売買価格高騰する子犬は
異常とも言える交配にて生まされ売買されます。
しかも、日本には推定、数百万頭の捨て犬が
存在する事実・・・
数百万人の飼い主・・つまり「人間」です。
エレキング:
動物園や水族館、入場料取ってる時点で人間が生きて行く為の糧ですよ。
競馬だって一緒。
人間が馬を作って走らせて処分する。
人間が牛を作って肉にして消費する。
人間が犬を作って放ったらかしにして全滅する。ブリーダーがトンズラかました時はこれでしょ。
人間は食物連鎖の頂点ですから、何でも有りなんです。
研究もするし保護もするし虐待もするんです。
ネズミが邪魔なら薬や捕獲機使って殺す!
馬が必要なら何億も金払って買う!
そこにイチ個人の感情がどれだけの意味が有るのか?
だから私は深く考えるのを辞めました。
for********:
個々の動物に対する価値観なんて、人それぞれでアタリマエ。法に反した行動してない限り、良いも悪いも無いっす。
凸:
ご立派な意見だと思います。
けど、競馬が好きな私からしたら、
競馬も動物園も水族館も、
そんなに違いはないだろうと思ってしまいます。
どんなに立派な目的があったって、
いずれにしても人間のエゴでしょ。
競馬と動物園、やってることがそんなに違いますかね・・・。