競馬って、言い方は悪いですが、元はタダの当てモンだったはずですが、今日では文化的な香りを纏うのに成功していまっていて、簡単には剥がれそうにもありません。
また、馬が走るだけのことに対して色々なドラマやストーリーを誕生させています。
これは狙ってそうしてきたのか、たまたまそうなったのか、どちらの可能性が強いでしょうか?
後、外国でも競馬界は基本的に日本みたいな地位を占めてる場合が多いのでしょうか?
回答
元非公開は障害者差別主義者:
競馬場で競馬を、見れば時速70キロの疾走に美しさを覚えること100%です
シロクマ:
競馬は公営賭博のなかでもイメージ戦略を成功させたものとして、競輪や競艇とはまた違った雰囲気を帯びることに成功しました。これには幾つかの背景が存在します。
まずは、顧客の確保です。レースやってても馬券買ってくれる人がいなかったらやる側も儲からないですし、その逆で馬券買ってくれる人が多いとやる側は儲かります。要は客引きのためにオシャレな看板を建てたということです。
次に、当時あった(今でもある)馬券を買う人に向けられる心ない言葉から守るためです。今もありますが、馬券を買う人(以後、馬券師)には、「ギャンブルカス!」や、「社会のゴミ!」などという言葉が向けられていました。本人の意思で本来は自由で何も悪いことではない馬券を買うという行為、及び買う人が蔑まれていました。そうすればきっと馬券師達も減っていき、競馬する側も儲からなくなるでしょうから、競馬そのものをドラマティックに描写してそれらを防ぐという意味もあったと思います。
結論、やはり売り上げを伸ばすためのイメージ戦略として文化的な香りを纏おうとしたのだと思います。
次に、意図的にドラマやストーリーを誕生させているかですが、9割意図的に狙ってやっています。中には、寺山修司という小説家の様に自分から競馬にドラマを見出した人間もいますが、CMなどをする側は意図的だと思います。しかしこれは客引きの他に、CMというものの特性上、仕方なかったところはあると思います。やはり「馬が走っているだけ」では普通の人が見れば味気なくて殺風景な情景ですから、そこにドラマやストーリーを加えて華やかさを持たせたのだと思います。
しかしこれは、犬や猫、ましてやスポーツ選手を題材にしたドキュメンタリーなどにも言えることです。忠犬ハチ公なんて側から見れば「ただ犬が駅前に立っているだけ」ですから、そこにドラマを付け加えたのは人間です。馬にだって、その馬に跨る騎手をはじめ、馬の世話をする厩務員、馬を管理する調教師、馬を所有する馬主というふうにたくさんの人が関わっていますから、否が応でもドラマは生まれます。
最後に、外国でも日本と同じような地位にあるかということですが、国によってまちまちです。しかし、競馬自体が日本よりも庶民的なものとして捉えられている国はオーストラリア以外無いと思います。
満足して頂ける回答でしたら嬉しいです。
chimpenzee:
日本の競馬の始まりは明治時代に海外から紹介されたのから始まり、ロシアの南下に備えた北海道での軍馬育成などですから、当モンだったのは、その後のことかと思います。
むしろ、そんなストーリーごと輸入されたと言って良いと思います。ダービーなど日本より150年は前に始まってますからね。
外国と日本以外をひとことで扱うのは難しいですが、イギリスやアメリカなどでは人気をなくしつつあります。
本家のイギリスダービーはスポンサーをつけたければ開催危機。
オーストラリアや中東では日本と同じくらい元気です。
あとは中国が競馬に参入する様に、活動しているチャイナホースクラブなんてものもあるので、それが今後台風の目になるかどうか。
ps1********:
競馬場をどんどんきれいにして、汚いオヤジを排除してきたのが効いてますね。
pok********:
本来、貴族や軍人等の支配層の優劣を競うものです。
騎乗の技術は権威や戦闘力ですからね。洋の東西は問いません。
競いあう舞台を商人が興行としたのが競馬。
馬を扱うノウハウこそ近代産業の根幹です。
人間の文明に直結してる競技だと言うことです
bir********:
金銭かけて動物つかった賭博は日本
は「闘鶏」軍鶏ニワトリのケンカで
賭け、するのが競馬より大昔から
実施しているようです。
無気力P@ボカロP:
1539年イギリスの競馬の発祥からして貴族の遊びですよ。
uruken2****:
競馬はイギリスで発祥したものです
時代物の洋画を見てると、着飾った貴族が、競馬を見てるシーンがあります
エルメスは革製品として超一流の位置づけですが、元々は馬具メーカーです
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%AB%B6%E9%A6%AC
ryden:
競馬、JTは完全に意図してクリーンなイメージを打ち出しています。
大手代理店を使って人気の俳優さんなどを起用して、家族や女性友達同士で来れるように。
ここからは邪推ですが、カジノ合法化に向け、まずは賭け事の競馬をクリーンにして、同じイメージ戦略でカジノも娯楽施設として売り出したかったのではないでしょうか?
海外は分かりませんが、イタリア(スペインだったかも)では元々昔から馬のレースなどあったそうで、日本のお祭りや、地域ごとの人気馬が居たりするらしくサッカーの熱狂に近いかもしれません。
元非公開は障害者差別主義者:
競馬場で競馬を、見れば時速70キロの疾走に美しさを覚えること100%です
シロクマ:
競馬は公営賭博のなかでもイメージ戦略を成功させたものとして、競輪や競艇とはまた違った雰囲気を帯びることに成功しました。これには幾つかの背景が存在します。
まずは、顧客の確保です。レースやってても馬券買ってくれる人がいなかったらやる側も儲からないですし、その逆で馬券買ってくれる人が多いとやる側は儲かります。要は客引きのためにオシャレな看板を建てたということです。
次に、当時あった(今でもある)馬券を買う人に向けられる心ない言葉から守るためです。今もありますが、馬券を買う人(以後、馬券師)には、「ギャンブルカス!」や、「社会のゴミ!」などという言葉が向けられていました。本人の意思で本来は自由で何も悪いことではない馬券を買うという行為、及び買う人が蔑まれていました。そうすればきっと馬券師達も減っていき、競馬する側も儲からなくなるでしょうから、競馬そのものをドラマティックに描写してそれらを防ぐという意味もあったと思います。
結論、やはり売り上げを伸ばすためのイメージ戦略として文化的な香りを纏おうとしたのだと思います。
次に、意図的にドラマやストーリーを誕生させているかですが、9割意図的に狙ってやっています。中には、寺山修司という小説家の様に自分から競馬にドラマを見出した人間もいますが、CMなどをする側は意図的だと思います。しかしこれは客引きの他に、CMというものの特性上、仕方なかったところはあると思います。やはり「馬が走っているだけ」では普通の人が見れば味気なくて殺風景な情景ですから、そこにドラマやストーリーを加えて華やかさを持たせたのだと思います。
しかしこれは、犬や猫、ましてやスポーツ選手を題材にしたドキュメンタリーなどにも言えることです。忠犬ハチ公なんて側から見れば「ただ犬が駅前に立っているだけ」ですから、そこにドラマを付け加えたのは人間です。馬にだって、その馬に跨る騎手をはじめ、馬の世話をする厩務員、馬を管理する調教師、馬を所有する馬主というふうにたくさんの人が関わっていますから、否が応でもドラマは生まれます。
最後に、外国でも日本と同じような地位にあるかということですが、国によってまちまちです。しかし、競馬自体が日本よりも庶民的なものとして捉えられている国はオーストラリア以外無いと思います。
満足して頂ける回答でしたら嬉しいです。
chimpenzee:
日本の競馬の始まりは明治時代に海外から紹介されたのから始まり、ロシアの南下に備えた北海道での軍馬育成などですから、当モンだったのは、その後のことかと思います。
むしろ、そんなストーリーごと輸入されたと言って良いと思います。ダービーなど日本より150年は前に始まってますからね。
外国と日本以外をひとことで扱うのは難しいですが、イギリスやアメリカなどでは人気をなくしつつあります。
本家のイギリスダービーはスポンサーをつけたければ開催危機。
オーストラリアや中東では日本と同じくらい元気です。
あとは中国が競馬に参入する様に、活動しているチャイナホースクラブなんてものもあるので、それが今後台風の目になるかどうか。
ps1********:
競馬場をどんどんきれいにして、汚いオヤジを排除してきたのが効いてますね。
pok********:
本来、貴族や軍人等の支配層の優劣を競うものです。
騎乗の技術は権威や戦闘力ですからね。洋の東西は問いません。
競いあう舞台を商人が興行としたのが競馬。
馬を扱うノウハウこそ近代産業の根幹です。
人間の文明に直結してる競技だと言うことです