競輪競技の最高峰「日本選手権」の出場選手選考は1995年までは「トライアル方式」でした
最近はSS班と競争得点上位から選考されているようなのですが・・・
なんで「トライアル方式」をやめたのでしょうか?
ベストアンサー
mak********:
正確な理由ではなくて申し訳ないのですが、私が思う理由をつらつらと書いてみます。
1 選考順位で上位にある選手の出場が保証できなくなる。
他の特別なら、選考方法の違いがあるにしても、成績上位者は事実上必ず出場できるが、ダービーだけはトライアルで負けると出場できない。争覇級が最初からいないと興行的な損失になります。(確か救済措置はなかったと記憶しています。)
2 過去の成績とはいえ、実力順による出場選手にならない。
絶対にありえないことですが、理屈では選考順位1位~54位の選手が本戦に出場できず、55~216位の選手でダービーが開催される可能性があります。今風に考えれば、成績上位者から、東西王座戦に出ていた選手が全員不出場の特別競輪を想像してもらうとよいかと思います。まあ、ありえないですけどね。
3 残した成績により、選手の走りが変わってくる。
本当にうろ覚えで、違っているかもしれませんが、本戦特選のボーダーが90点くらい、本戦出場のボーダーが40点くらいだったと思います。またトライアルの決勝進出のボーダーは2走合算で8着だったと記憶しています。(7着ならまずOK)
すると、初日で1着をとれば、2日目は中間着でも決勝に行けるので、実力下位の選手を前に回したり、要は点数ありきの競走になってしまうこともあったと思います。
4 ダービートライアルの間は記念が開催できない。
ダービートライアルは第1戦が1月下旬ごろ、第2戦が2月上旬頃に行われていたと思いますが、当然S級上位選手はすべてトライアルに出場しますから、記念に選手を呼ぶことはできません。当時の記念は3日制×2節で並行開催もありましたから、日程的にどうにもならないことはなかったと思いますが、それでも記念を開催できない期間があることは日程上痛手です。これが特別の前後なら仕方ないですが、特別の出場権を決めるために必要なのかという議論はあったのではないでしょうか。
5 ダービー非開催場は選手賞金の負担が大きい。
ダービートライアルは8場×2回戦=16場で開催されます。当年のダービーを開催する場は、後で大きな売り上げが待っているのだから、その前の賞金額の負担は容認できるかもしれませんが、他の15場はS級選手の賞金を負担しなければなりません。確か優勝賞金はS級シリーズより安かったと思いますが、(この辺は全く記憶なし)それでもS級優勝の賞金は馬鹿になりませんし、S級27名分の3日分の負担は決して軽くないと思います。
6 旅費の負担。
これは取るに足らないことかもしれませんが、ダービートライアルは各級とも東西交流ありでした。したがって遠方からの出場選手の旅費を支払う必要があります。ただ、これは前座戦だけ交流なしにすれば済む話なので理由にはならないかもしれません。
7 ダービートライアル開催は迫力ある勝負に乏しい。
ダービートライアルはB級4個、A級4個、S級3個の11レース制でした。B級は普通開催も4個レース制でしたから違いはありませんが、A級は普通開催なら54名で勝負するところが36名で争いますから、それだけ強い選手の配分も少なくなります。増してや、当時のダービートライアルは(記念のA級戦もそうでしたが)、普通開催にA級上位選手を配分するので、あまり強い選手が来なかったですね。普段初日選抜が当たり前の選手が特選に乗ったりとか…。なのに地元だけ強い選手を呼ぶので力の差というか、一人だけ突出した選手がいる感じでしたね。肝心のトライアル自体も、強豪選手が8カ所に分散するので、混戦という意味での妙味は薄かったと思います。
今思いつくのはこんなところです。私はダービートライアルは好きでしたよ。わりと取りやすい印象があるし、下克上で出場権をとっている部分もあるように感じますしね。選考順位216位で本来なら特別に乗れないのに、優勝したなんてことがあったらそれはそれで愉快じゃないですか?
そういう意味では、始めたころのレインボーカップも好きでしたし、サッカーの天皇杯も制度は好きです。実際に達成しうるかどうかは別にして、どんな立場でも日本一になるチャンスがあるなんて面白いと思います。
おっと、話が大きく脱線してしまいました。質問者さんも競輪に精通しているようなので、“釈迦に説法”かもしれませんが、私の記憶を駆使して回答させてもらいました。
3はより詳しい回答が出ていますね失礼しました。
その他の回答
ty1********:
以下のようです。
開催直前の1月~2月にかけて開催する「ダービートライアル」(3日間×3会場)。
第29回(1976年)からは、原則として選考委員会より選定された選手によりトライアルレースを実施して全出場選手を決定する方式となった(3日間×2会場)。ただ早い段階でポイントを稼いで後半は欠場する、または半ば無気力に走る選手も現れたりするなどして弊害も多かったため、第48回(1995年)を以って廃止された。
と、ウィキに説明ありましたので。