元いいとも青年隊の久保田篤 氏(マンション久保田)はどういった打ち方で勝ち稼いで来たのでしょうか?釘を読んで1000円で何回回るか、確率より多く回る台をひたすら打つボーダー理論というヤツでしょうか?
私は久保田篤氏はタレントとしてしか知らなかったのですが、学生時代にパチ屋の息子の友達に、
『マンション久保田って知ってる?今度地元のパチ屋にゲストで来るんだよ。パチンコでマンション買ったんだよ。』
と言われ、画像を見ると久保田篤氏でした。
バラエティで、パチプロと呼ばれたり、ほとんどパチンコで生活してる、千葉の方に良く出る店があるから通ってる、と発言していた記憶がありましたが、パチ屋の営業のゲストや雑誌連載や雑誌ゲスト、ネット、少し時代も経てYouTube等のソーシャルメディアにまでかなり出ていて、今は自分で打つパチンコをしなくても、依頼される営業等で下手なタレントよりも稼いでいるのだろうと感じました。
最近、昔のバブル期のパチンコ出店戦争みたいな動画やとんねるず、DAISUKIなどのパチンコ対決、パチンコとパチスロが流行った時期の人間模様、パチンコ一本で食べてるパチプロの妻子出演のドキュメントや、攻略法・梁山泊関連のバブル期から90年代、2000年代前半頃の動画を時代と景気の流れなどを含めて、ながら作業しながら良く見ています。
追伸 パチ屋の息子の店は2007年位に閉じて撤退しました。なんだか台の法改正だか規制の締め付けだかで厳しくなるから父親が撤退を決めたと。パチ屋以外にも複数事業を持っている金持ち一家だったので今は別の事業を手伝ってます。よくよく考えるとタイミング的には良い時期の撤退だったようです。
最後は偽イベントを連発して閉じたと言ってました。
回答
1051402960:
久保田篤は有名でしたが
この人は体感機などを使う事はなく釘を
見てました
よく回る台だけを狙ってたんじゃないでしょうか
1990年代のパチンコ店は裏ロムで営業してる店も多く
不正ロムのスロットやパチンコは連チャン率が良かったです
新小岩のマクドナルドの横にあったたまりやというパチンコ店が
裏ロムで有名な店でした 自分もスロットで1日60万円
パチンコで1か月100万円は勝てたので 久保田氏のマンション購入
珍しいことではなかった時代です