大昔は。は手打ちで、椅子は設置されておらず立ってやってましたよね?チーン ジャラジャラーと

出てきます

小さい箱にいっぱいになったらチョコレートに変えて子供に与えてました。遠い昔のお話ですが懐かしいですが?知っているのは高齢者ですか?

回答

j_slow_card:

手入れ、手打ち、上皿なし、お立ち台ですな。
台間サンドなど無く、カウンターでオバチャンから借りる方式、ハンドルを回すと100円で50個の玉がじゃらじゃら出てきたので小箱で受ける。もちろん裏玉は手補給、手回収、裏にパートのオバチャンがいた。オートメと呼ぶ補給もあったが、今のような完全自動ではなく2階に係員がいてランプが点灯した番号の所に玉を手補給するというもの。

昭和40年に入るまでが無いのでがメインの交換手段だった。それを買人がいる場所に持って行って現金化していた。その買人は暴力団員だったそうだが、私がパチ屋に行ける時代は既に特殊景品化がされていた。まあ姫路だったので昭和40年代半ばには既に特殊景品化は完了していた。

台はオール15、オール13、オール10など私が通いだした頃はバリエーションがあった。まだ電動役物はほぼ見かけなかったが、成人化したころにはかなり導入されていた。その数年後にデジパチが誕生した。


fst****:

私は今55歳。
父に抱っこされて2〜3歳くらいからパチ屋には連れて行かれてましたが、過渡期でしたね。
ギリギリ椅子に座って(大阪でした)打ってたかな?
だから4〜5歳の頃、九州某県の父方の郷に行った時に、田舎の寂れたパチ屋に行ったら、椅子が無くて驚いた記憶が有ります。

    ID非公開

    そうなんですね。


華 孔雀:

高齢者と知識のある方ですね
左手で玉を入れつつ右手で玉をはじきます


1153300965:

チューリップが出る前は知りませんね。