1996年のBR児島で開催されたSG(現、)のですが、インを取った倉谷和信が好スタートから逃げを決め、バックストレッチでは先頭に躍り出ます。

しかし2マークで、すぐ後ろの2号艇と4号艇が軽く打つかって、2号艇の安岐真人が飛んで行き、その最内を6号艇のが差したので、倉谷がしなければ「3-6-4、2」か「6-3-4、2」、まだ2連単しかない時代なので、締め切り直前のオッズを見ても、「3-6」「6-3」は、かなりの高でしたよね??・・この大阪コンビの券を買って持っていた人も、さぞや悔しかったと思われますが、どうでしょう??

回答

ear********:

自分の友人は1M回って歓喜!
2M回って….放心状態になってましたよ。
あの友人は倉谷がインから持つ!
と穴(このレースはイン戦が出来る倉谷がインでイン戦の経験薄い川崎がセンターと誰でも読める時代です、どのも倉谷のインで川崎は3コースか4コース)
今とは違いSGでインが勝つなんて年に一回あるか無いかの時代。野中、中道、植木、服部がメジャーでインなど寄り付かないタイプ。
そのインが弱い弱い時代にまんまと逃げた倉谷に張った友人。
確か30倍はついたレースでしたね。

    ear********

    補足ですが、枠を買っている今のと違い、選手を買っていたの時代です。
    コースなど関係なく選手で買われていた時代なのでネームバリューの薄い倉谷はインでも人気薄です。


yuu********:

27年も前の事なんですねえ

1号艇の川崎は地元なのに同期の倉谷と上瀧に内に入られるとはね、出世の早かった倉谷と上瀧には頭が上がらなかったんですかね、

倉谷はカッコつけて2マークで慣れないモンキーをやって勝手にこけて、優勝を後輩の松井に持っていかれてボロクソ言われてましたよね。