貴方は屋に行き、自動じゃないパチンコをした事ありますか?

回答

ID非公開:

昭和60年代に高校生だった私は、既に手打ちのが置いてある店は近所にありませんでした。


tamago:

有りますとも!!

高校の授業を午前中で切り上げて、制服の上着を脱いで打ってました。
球の消費がゆっくりで、1000円で充分遊べました。


doraty_com:

打ち始めたのは
役物がチューリップかクラゲ時代ですね

当時はもう「2円」だったですね
その後に3円になり

やその後のデジパチ一発台時代は
4円になっています

その時代になると
台横のサンドに100円入れると
玉を借りれる方式に変化してきます

片手一杯でしたから25個かな

1玉2円時代は殆ど全てが定量制で
2,000個で打ち止め、いわゆる「バネ切り」です
交換は2,500円(6割程度)

自分で2箱をカウンターに持って行き
(ケース入りボールペンだったかな)を買取所で交換する

入れば15玉で結構それで遊べるのです
なにせ手込め手打ちですからね

もっとも熟練(自分もね)は
1分100玉どころではない高速打出しです

釘が良い台でを上手く打つのですから
今で言う「運」はありません

上手い人が勝てる時代です

上手く行けば
1日に2台程度のバネ切りで5,000円
(もちろん粘って粘っての話です)

役物はチューリップのアナログ時代
これが限度かな

当時は大箱はありません

立って打つのですが

座る椅子が出来たのが
手込めが無くなったころ

手打ちで1分間100発があります
子供を膝に乗せて子供も遊べる時代です

定量制も2,000個、多くて4,000個程度ですからね

電動ハンドルが出来てきて
この時代以降は4円になってきます

この時代になると子供の姿がなくなり
鉄火場になっていきます

羽根モノ~初期のデジパチが出る様になってから
定量制で6,000個~8,000個程度
(15000円から20000円程度)

一発台もその程度での定量制

当時でもは1玉4円時代のことですね
概ね6割程度ですから、40玉交換が多かったかな

同じ計算なら50玉交換なんて聞いた事ありますが・・・

その後にラッキーナンバー制~無定量制(無制限)になって行きます
今は定量制ではなく無制限が殆どであり

も大型チェーン店登場で等価が多くなり
現在はそれに近い高価交換になっていますね


ana********:

あるかないかでいえば、ある、が回答です
昭和48年には電動ハンドルが認可され、昭和55年にはフィーバー機がでてますので
そのころまでに一般的な台は電動ハンドルが一般的になっていたものと思います

ただ、雀球やなどは、そのころにも手打ち台がありましたね


j_slow_card:

全てが機械式のパチンコならでも駄菓子屋の店頭でも打ったことがあります。上皿はなく手で1個1個装てんして手でバネを弾きます。レバーをどこまで下げるかで打つ強さが決まります。ワクをきっちり狙えれば上級者、下手なら大半が右に飛びます。

連続入賞しても機械式で払い出されるので、中にストックしてボタンを押して払い出す方法と賞球パックに物理的に1個ずつ流れていく方法とがあって、後者はボタン不要です。でもよく詰まりました。

補給も自動ではなく、裏にオバチャンがいて無くなりそうな台に玉を補充してました。「でーへんぞ」台ガンガンガンなんてのもこの時代です。すると怖いニーチャンが「めんでもたらタダじゃ済まんぞゴルァ!」とか言われてましたね。

うに:

はいっ。
て、手打ちでございますね。
その昔は、左手で一個ずつ
球を持って入れて、右手で打つ
タイプで、それを高速でやりまして、
盤面を玉だらけにする技術が
必要だったのでございます。
でもって、それができないように
100発皿というのが発明されて、
それに球をざらっと乗せておくと
一発打つごとに、自動的に1発づつ
次のが落ちていって、左手でこめる
必要が、なくなったのでございますけども、
同時に超早打ちも、不可能になったので
ございます。
はいっ。
右手でレバーを引き絞るその量
だけではなくって、レバーを離す
その離し加減によって、球の
飛び方がちがうので、
そこのところもとても重要な
技術なのではありましたね。
・・・
でもって、自動が出てきた当初は
安定して同じようには飛んでくれない
ので、一球づつ握りをかえながら
調整する技術が必要だったのですけども、
そのうちに、隙間になにか挟んで
あとはほっておくスタイルが
出始めてきて、
とても
つ、つ、つ、
つまらなーくなっていきましたね。
はいっ。
手打ちが良いねーっ。
たまーにおまつり、などで
昔の手打ちの台があると
とてもうれしーく、なりますねーっ。


dir_magnoria:

はい。
もちろん番号を揃えたりということもありませんでしたが、それなりに楽しめたと思います(^^;


DaiQiRI:

ありますよ。

レバーをはじいてびょーんって出されるやつ。
小学生ぐらいでした。

ID非公開:

昭和60年代に高校生だった私は、既に手打ちのが置いてある店は近所にありませんでした。


tamago:

有りますとも!!

高校の授業を午前中で切り上げて、制服の上着を脱いで打ってました。
球の消費がゆっくりで、1000円で充分遊べました。


doraty_com:

打ち始めたのは
役物がチューリップかクラゲ時代ですね

当時はもう「2円」だったですね
その後に3円になり

羽根モノやその後のデジパチ一発台時代は
4円になっています

その時代になると
台横のサンドに100円入れると
玉を借りれる方式に変化してきます

片手一杯でしたから25個かな

1玉2円時代は殆ど全てが定量制で
2,000個で打ち止め、いわゆる「バネ切り」です
交換は2,500円(6割程度)

自分で2箱をカウンターに持って行き
特殊景品(ケース入りボールペンだったかな)を買取所で交換する

入れば15玉で結構それで遊べるのです
なにせ手込め手打ちですからね

もっとも熟練(自分もね)は
1分100玉どころではない高速打出しです

釘が良い台でを上手く打つのですから
今で言う「運」はありません

上手い人が勝てる時代です

上手く行けば
1日に2台程度のバネ切りで5,000円
(もちろん粘って粘っての話です)

役物はチューリップのアナログ時代
これが限度かな

当時は大箱はありません

立って打つのですが

座る椅子が出来たのが
手込めが無くなったころ

手打ちで1分間100発規制があります
子供を膝に乗せて子供も遊べる時代です

定量制も2,000個、多くて4,000個程度ですからね

電動ハンドルが出来てきて
この時代以降は4円になってきます

この時代になると子供の姿がなくなり
鉄火場になっていきます

羽根モノ~初期のデジパチが出る様になってから
定量制で6,000個~8,000個程度
(15000円から20000円程度)

一発台もその程度での定量制

当時でも換金率は1玉4円時代のことですね
概ね6割程度ですから、40玉交換が多かったかな

同じ計算なら50玉交換なんて聞いた事ありますが・・・

その後にラッキーナンバー制~無定量制(無制限)になって行きます
今は定量制ではなく無制限が殆どであり

交換率も大型チェーン店登場で等価が多くなり
現在はそれに近い高価交換になっていますね


ana********:

あるかないかでいえば、ある、が回答です
昭和48年には電動ハンドルが認可され、昭和55年にはフィーバー機がでてますので
そのころまでに一般的な台は電動ハンドルが一般的になっていたものと思います

ただ、雀球やアレパチなどは、そのころにも手打ち台がありましたね


j_slow_card:

全てが機械式のパチンコならパチンコ店でも駄菓子屋の店頭でも打ったことがあります。上皿はなく手で1個1個装てんして手でバネを弾きます。レバーをどこまで下げるかで打つ強さが決まります。ワクをきっちり狙えれば上級者、下手なら大半が右に飛びます。

連続入賞しても機械式で払い出されるので、中にストックしてボタンを押して払い出す方法と賞球パックに物理的に1個ずつ流れていく方法とがあって、後者はボタン不要です。でもよく詰まりました。

補給も自動ではなく、裏にオバチャンがいて無くなりそうな台に玉を補充してました。「でーへんぞ」台ガンガンガンなんてのもこの時代です。すると怖いニーチャンが「めんでもたらタダじゃ済まんぞゴルァ!」とか言われてましたね。