唱和の時代の住之江競艇について。
あの頃は今より入場者数がずっと多かったけどスタンドの座席数が少なく座るのも一苦労でした。
1.ノ●ヤから舟券買った人がいい席に座れたというのは本当ですか?
2.当時は場内アルコール販売していませんでしたが持ち込みしたら警備員に注意されたのですか?これもノ●ヤから券購入した人のみアルコール黙認ですか?
3.昭和のある年の大晦日?平場の開催なのに最終レースだけで6億円。一日30億円くらい売上があったとか。いつのことですか?
回答
1251521879:
全然回答になってませんが
昭和60年~62年位に住之江によく行ってました
なぜ質問に答えられないかというと覚えてないからです(ごめんなさい)
ただ、はっきりと覚えているのは12レースが終わってみんなぞろぞろ歩いて場外に出てくるのですが、出口から地下鉄乗り場方面に向かって地べたにゴザを敷いて電卓のような物を売ってる人たちがいました
一ヶ所に2人ずつくらい+サクラ数人 これがたくさんずらりといました
電卓を改造して作ってるんです
レースのある日にちやレース番号などを入力したらほら当たり!みたいなインチキ商売です
地べたに新聞広げて赤丸していきながら「ほら、見てみいや兄ちゃん」みたいな感じで売ってました
その電卓一つが5000円位だったと思います
私も騙されて買ったことあります(笑)
あとは四角い箱板みたいなものに手で握り潰せるようなモナカ(形は球状)を数個転がして、今から当たりの入った球を入れるからよく見て勝負やと言ってお金を賭けさせるインチキ商売やってる人たちもいました
いつの頃からか全く見なくなりましたが平成の最初の頃までは福岡競艇場の外にインチキ球転がしはやってたのを記憶してます