高原永伍選手がB級で走っていた晩年の頃(1993-94年ころ?)に見た記憶があるのですが、弱かったのに凄い声援でしたね。全盛期の1960年代のころってどのくらい人気があったのですか?
ベストアンサー
ton********:
高原永伍とは懐かしい、
1968年頃が全盛期でしょうか?
云わずと知れた、神奈川の高原5兄弟の3番目として特別競輪で活躍したと記憶しています、
小柄で(身長160CM程度)で日に焼けて黒かった印象です、
強先行で成績は1着か9着かの両極端、ぶっちぎりの逃げ切りか大敗の9着が多かった
当時は、他ラインのけん制が厳しくて大外金網まで、もっていかれても「捲くり」で人気に応えていました、
末弟の清多も特別競輪で活躍したがタイトルには届かず。
その他の回答
uni********:
BA対象外でお願いします。
私が小学生の頃、NHKで日本選手権の放映をしており、果敢な走りで優勝した高原選手は、私の英雄でした。
まだ、車券も、前半レースが枠連、後半が枠単、単勝、複勝(2着)までの時代です。
競輪選手に憧れて陸上部で練習していた私は、修善寺から願書を取り寄せたところ、条件が、両目裸眼で1.0以上だったので、出願を諦めました。(笑)
woj********:
「逃げの神様」の異名を持つ圧倒的な先行力と末の粘りは凄いものがあった。車券は高原が1着以外なら全て万車券になってしまうほどの「高原オッズ」という現象まで起こしたほどに強く、人気があった選手でした。逃げにこだわり続ける姿勢は今の若い選手に見習ってほしいです。今とは違い、追込み重視の時代に逃げて強かった高原は別格です。
h5e********:
こんばんは。
私も全盛の頃知らないので あくまでBA外でお願い致します。
競輪と知り合った頃 30年ちと前に回りの先輩達から 永伍の伝説的な話を沢山伺いました。
ホームバンクの近くに住んで居たので そりゃ回りのファンも英雄扱いでしたね。
でも自分も競輪勉強してたら 確かに永伍は歴史残る名選手だな と思いました。
中野 井上 滝沢 吉岡神山 古くは松山さん福島さん白鳥さんを凌ぐ名選手だなぁ。
野球で例えたら バリーボンズ アーロン ピートローズ 王 落合 イチローなどすごい選手居ましたが 永伍は ベーブルースかな。
競輪の伝説的な選手だと思います。
あくまで私見です。