からに興味を持ったにわかなんですが、競馬を楽しむリア友がいる人に聞きたいんですが、自分と友人が馬券にいくら使ったかとか気にしますか?

自分は1万賭けたのに友人は100円とかだったとして、外したことを悔やみ合ったりできます?心の中で「(いや、お前100円やん・・・こっちは1万やぞ)」みたいに思ったりします?もしくは馬券自体を購入せずにただただレースを観るのが好きな友人とかどう思いますか?類は友を呼ぶと言うようにそういう部分でも自分と似た賭け方の友達が周りに増えていき、合わない人は去っていくとかありますか?

回答

cra********:

自分がまあまあ賭けて、友人が100円で数種類買うタイプです。

いっぱしの社会人であれば、100円って別に落としたり無くしたりしても全くノーダメージな金額である一方で、1万円となるとまあまあ「あれもこれも買えたな…」となってくるので、金額面では同じように悔やむというのは難しいです。

というか、100円を失って心底悔しがる社会人というのがそもそもいませんw

じゃあ100円の人とか、そもそも賭けずにレースを見て熱狂している人は何に喜び/悔しがっているのか?って話です。

賭け事としてではなく、純粋にレースとして、応援している選手として、どの馬/が勝った負けたということに熱狂することはできます。

自分は野球も好きですが、別に賭けていなくてもその勝敗には熱狂できます。
野球で賭けてる人がいたとして(違法ですが)、スポーツとしての楽しさの部分でそれに共感できないとは思いません。

競馬も同じで、たくさん賭ける人と賭けない人で、お金が増えた減ったという部分での喜び/悔しさは共有できなくても、スポーツとしての熱狂は共有できます。

ただし、競馬をスポーツとして楽しんでいるのではなく、賭け事としてしか見ていない人は、お金が増えた減ったという部分でしか一緒に盛り上がることはできないので、賭け金があまりにかけ離れている場合は一緒に盛り上がるのは難しいです。

スポーツ部分も賭博部分も両方楽しんでいる人がほとんどだと思いますが、どちらに重きを置いているのか、その濃淡のグラデーションによって「住み分け」がなされることがあり、去っていく人は去っていくこともあろうかと思います。

みんな仲良くお手て繋いで楽しめるなどと言うのは簡単ですが幻想で、人は価値観の近いもの同士で寄り集まるものであす。

もちろん毎レース万単位で賭けていても、その人が博打部分にしか興味がないとは限りませんので、賭ける金額で賭博方向への比重や熱量が決まるわけではないと強調しておきます。
スポーツ方向と賭博方向、どっちにもすごい熱量のある人はどっちの集団とも上手くやれたりしますね。


ミナガワマンマ:

私は競馬の話(レースの狙い馬とか血統とかそのものについての話)が出来ればそれで満足ですけどね(‘_‘?
私は馬券ファンでは無くて競馬ファンですから(小学生の頃からの競馬ファンです)(^_^)

・・・・・逆にお金の話が主体の人とは合わないかも知れませんね(‾‾∇‾‾ゞ


1152303339:

大昔、友達とつるんで競馬を楽しんでいた時は3人で遊んでいました。私は豆券でどんなレースでも遊ぶ、友人Aもレースはあまり選ばない、馬券も初めは豆券でしたが、いつの間にか1点あたり1000円2000円と増える、友人Bはほとんどのレースは見るだけ。下手するとG1も賭けない。ただ、何かポイントがあれば(応援したい馬が出走する、勝ちそう。一緒に遊びに行ってるのでメインぐらいは、などなど)賭けるのですが、賭けると1レース最低でも5000円ぐらい。中には単勝一点買い1万円とかも。

スタンススタイルは全然違っていましたが、大学時代はずっと一緒に行動していました。ただ、大学を出てしばらくして、友人Aはどこかで別のグループと交流するようになって、そっちがメインになって、疎遠に。友人Bは牧場で仕事するようになって、帰ってきてからも多少は交流があったのですが、疎遠に。

最終的に別れたのは大学生から社会人へとの生活の変化で、三人の住んでる場所から考えるとつるむのはしんどかったという形ですが、馬券のスタイルや買い方のスタンスで離れる事はなかったですね。でも、基本は全てを抜きにした価値観とか気が合うとかの純粋な友達としての合う合わないだと思います。友人Aは少し合わないところがあったと思います。なので、早く離れたんだと。


kur********:

別に何とも思わないし去る事も無いかと
どれだけ資金を使うのはその人の考えであって相手はたいして痛い出費じゃない事にイラついても虚しくなるだけ
そんなの事でイラつくような人はそもそも周囲から敬遠されて友達付き合いが出来ていないかと。(そもそも1万突っ込むようなギャンブラーとかあまり付き合いたいとは思えんけど)