昔の競輪はなぜ前節後節別れてたんですか?
走るメンバーは違うんですか?
回答
とある公営競技の広報畑(退職済み:
今でも前節後節は分かれています、当然メンバーも違うのは昔から変わりません
記念競輪も3日制で前後節ありました
他におっしゃってる方がいらっしゃいますが、まさにその通りで、現在の様な日程調整とは異なっておりました(例 函館は木金土・青森は日月火のように)
ナイターが出来、ネット発売が盛んになって調整方法も変わりましたが、基本的に優先場というものはありまして、スピードチャンネルも優先場がメインチャンネルです
例 最初のナイター場 函館が優先順位1位
優先度は レース格・優先場 の順です
6/1初日 松山F1ナイター 函館F2ナイターなら松山優先
6/1初日 松山も函館もF1なら、函館優先です
同じようにミッドナイトの場合はミッドナイト協議会参加場も同様です
過去には 前半5レースA級 後半5レースA級 全く同じ級班の ツイントーナメントもありました
また、現在向日町でやっている 施設改善競輪も、過去には毎年各場で行い、スタンド整備等の経費を捻出していました
ねこすけ:
昔、西宮競輪・甲子園競輪に行ってたけど
晩年の西宮競輪はコスト削減のために
前節3日間・1日休み・後節3日間
なんてのをよくやってた。
開設記念も前節・後節とあったときは、地元のトップレーサーがどちらか片方の節に選手として出走して、もう片方の節の決勝戦でファンサービスで誘導員を務めてた、なんてことがよくありました。
cac********:
走る選手は前節・後節で別です。
現在も、正式には3日間のトーナメント2回が1回の開催で、今日行われている別府競輪は別府市営競輪令和5年度第1回後節となっています。
昔はミッドナイトなどの全国的な日程調整は不要でした。一方、近隣の競輪場とは日程調整をして同じエリアで複数開催がないようにして、スタッフが複数の競輪場を掛け持ちしていたりもしています。そのため、1開催が固まるように、前節~後節を間を開けずに行っていたのでしょう。
記念競輪ですら前節・後節があったのは今では考えられないですね。記念なのにA級戦もあり、S級6レース×3日間で前節優勝を決め、後節はメンバーを入れ替えてまたA級とS級を実施。競輪場により前節~後節を少し離すところもありましたが、休息日すらなくぶっ続け6日間記念開催ってところも。